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旅あれこれ 東北29【三春は歴史と桜の町】

三春散歩【福島・三春】

2009/06/28~29

 福島県の三春町で4日間ほど過ごしてきました。このところ妻の体調が優れず、原因は低体温が関与しているのでは・・・と考え、基礎体温を上げようと湯治に行っていたのです。

 三春の【やわらぎの湯】ではラジウムの岩盤浴ができることから、ここ6~7年の間に15回ほど通っていました。特に今年は玉川温泉がノロウィルス騒ぎで目的を達成できずにいましたから、ここは是非にも必要な湯治でした。

 ただ玉川のように大自然の中でと言うわけにはいきません。屋内での岩盤浴になりますから、やっぱりダイナミズムに欠け満足度はイマイチです。しかし新陳代謝を活性化し免疫力を上げることは同じように可能なはずです。

 ものすごい勢いで代謝が促進されエネルギーの消耗が激しくなりますので、湯治中は高タンパクの食事が必要になります。そう思って頑張って詰め込むのですが連泊している客にとっては毎日似かよった食事になりますので、辟易とするケースも出てきます。写真は最後の日のバイキングの食事です。とっ言っても毎日ほとんど同じものを食べていたような気がします。最初の日の3分の一の量ですから、家で食べるよりも少ない程です。

やわらぎの湯の食事
中町にある本陣跡
磐州通り(石畳の道)

 こんな生活をしているとどうしても飽きが来て・・・街をブラブラしたくなりました。暑くて大変な日でしたが少しでも涼しいうちに・・・と9時前に出かけた街の様子がこの写真です。蔵が多く残っていて街並みフェチの私達夫婦には楽しい町でした。翌日も駅方面に出歩いてみました。

 
 三春は田村氏の城下町でした。田村氏は坂上田村麻呂を祖とする名族で、最盛期には九万石の知行を有しました。伊達政宗との因縁は深いものがあり正宗の正室愛姫は田村氏から嫁しましたし、伊達氏の策謀により小田原に参陣しなかったことで秀吉の怒りをかい改易になりました。後に伊達氏に組み込まれて消滅しますが、愛姫の実家である事が幸いし再び分立し岩沼に三万石の知行を有する大名となりました。さらに現岩手県の一関市付近に改易になり、田村藩として幕末まで藩を維持しました。歴史に詳しい貴方なら既にお解りでしょうが・・・江戸城松の廊下で刃傷沙汰をおこした浅野内匠頭長矩が御預けとなり綱吉の命により即日庭先で切腹させられたのが、この田村右京太夫の上屋敷だったのです。

 田村氏の後、蒲生氏、秋田氏などが三春に入ります。秋田氏も蝦夷(えみし)阿部氏の末裔に当りますので、歴史好きには非常に興味をそそられる場所なのです。

 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加担しますが逸早く官軍に下り、三春が戦火にまみえる事はありませんでした。

北野神社付近の蔵
郷土人形館
古い井戸

 もう一つ三春には全国レベルで知られるものがあります。日本三大桜の一つ【滝桜】です。市街地のあらゆる場所でも桜が目に付きますし、三春ダム湖周りの3.000本の桜も見ごたえがあり、日本桜の名所100選にも数えられています。三大桜・・・は老木ゆえに選定されるのでしょうから【滝桜】も例外ではなく、少し傷ましい気持ちが湧いてきてしまいます。写真で見る山梨・北杜市の【神代桜】も岐阜・本巣市の【薄墨桜】も盛りを過ぎた感があります。
 

 寺社も多く東北の小鎌倉と言われています。しかし今回は訪ねる事か出来ませんでした。

職人横丁の建物
店の前に【デコ】

 街めぐりで唯一残念に感じたのは『交流館』も『郷土人形館』も休館日でトイレが鍵締めでした。【三春まちめぐり】という地図でトイレを紹介しておきながら、行ったら使えないというのでは納得できません。間に合わない事態も考えられます。町民の皆さんが少しでも多くの観光客に来ていただきたいという切実な思いを抱いているのと、役場の意識とはかけ離れているようです。館長という方はどうせ役場のOBでしょうから、私が期待する発想はとても抱けない方なのでしょう。住民が主役・・・が徹底されている【矢祭町】には到底及びません。矢祭町は小うるさい私が永住を考えた程の町ですから、何処が違うのか比べてみては如何ですか。余計なお世話ですけど・・・。

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