太田寺社巡り
2008/02/17
急遽気分転換に妻が『出かけよう』と言います。何処にしようか迷いに迷いました。困ったときの【川越】、方向を変えて【沼田】、世界遺産を目指す【富岡】、07.4以来となる両毛線方向で【太田】と候補が揃いました。その中から手軽な太田を選びました。呑龍さまに一度も参ったことが無かったので、どうしても一遍行きたかったのです。富岡は桜の咲く時期にしようと約束しました。
出掛けに慌ててインターネットで調べましたが、特段の観光資源はなく、楽しみにしている街並みなども保存されてはいないようです。グルメ情報もありません。そして甘いものも和菓子が中心のようです。その中で寺社だけは沢山ありそうです。今日はお寺さん巡りになりそうです。
駅前に行けば観光案内所があるだろうと考え行ってみました。駅舎の中にあるにはありましたが日曜で閉まっていました。観光客は日曜日とちゃいますか? スバルのお膝元、観光客が落とす日銭は当てにしなくていいのでしょう。きっと裕福なのです。結局パンフレット一枚手に入れることは出来ませんでした。
我が家からこの方向は鬼門ですから、またぞろ怪我などしないように慎重に行動します。呑龍様は多くの方が護摩祈祷の最中でした。信徒の数は相当のようです。廟所などを廻っても格式の違いを理解しました。家康に庇護されたということがよく理解できました。
そのまま城址に向かいました。ほぼ天守跡まで車で行くことが出来ます。展望台からの眺めは素晴らしく、青空が何処までも澄み渡っていました。この眺望は何度も見ている気がします。栃木・太平山謙信平、岩舟の岩舟山、佐野・織姫神社の石段など、何か懐かしい眺望でした。
お昼でしたのでいつもの通りパン屋さんをグルグル探しました。しかし見つけることは出来ませんでした。情報収集が足りませんでした。次回は確り事前調査を実施します。
スイーツも中々見つかりません。和菓子屋さんは山ほどありましたが・・・。
パン屋を探しながら小島方向に戻ります。そして途中、新田義貞が倒幕の挙兵を決断したと言われる反町館跡(現在は反町薬師・照明寺)に寄ります。土塁・堀はまさしく平城です。足利氏の鑁阿寺(ばんなじ)同様に武将の館とはお城そのものだったのです。
しかし足利氏との争いになったとき、近隣の民は本当に困ったことでしょう。隣同士で覇権を競ったわけですから。時代は【建武の中興】【南北朝】と収束していきます。そして人物としては《後醍醐天皇》や《楠正成》・・・もう歴史はロマンです。今まさしく私は時代をたどっているのです。
新田次郎氏の著書【新田義貞】を読むと、義貞はあまり戦は上手くなかったように思います。どちらかというと頭脳の武将ではなかったでしょうか。干潮を利用したあの【稲村ガ崎】の逸話が示していると思います。
北陸の地で生涯をとじた義貞は、二度とこの地を踏むことはありませんでした。武人としての本懐だったのか・・・あるいは無念だったのでしょうか。知るすべはありません。
世良田に移動し東照宮に参拝します。この地に東照宮があること事態不思議でなりません。この地は徳川氏の発祥の地だったのです。拝観料を取られますので中に入らず参拝しました。多分ご利益は無いでしょう。
数時間の旅でした。でも気分は晴ればれです。帰路に深谷に廻ってパンを買って帰りました。コッペパンにトッピングしてくれる先駆的なお店です。少し脂っぽいコッペパンですが、逆にパサつかないように工夫もされていて、合格点のパンです。【アンディズ】