友の見舞いに・・・越前海岸舌つづみ
2002/02/10~11
大学時代の親友Tからの年賀状に“咽頭ガンの手術をした”と書かれています。手術はうまくいったのか、転移は無かったのか・・・大いに気になります。手術の時期を聞いてみると妻の手術と同時期のようです。友の一大事に妻は自分の体調を顧みず、『どうしても行って励ます』と言いだしました。当然私は反対しました。しかし妻の起っての頼みに根負けした私は、妻の福井行きを承知してしまったのです。妻にしてみれば“自分が行かなければ私も行かないだろう”と考えたと思うのです。お互いこの先何が起こるか判らない年齢、どうしても私をTに会わせておきたかったのだと思います。そんな妻の気遣いに何か複雑な感じがしました。
大学時代お互いのアパートが近かったこともあって、いつもどちらかの部屋に入り浸り。マージャンでは妻に大分迷惑をかけました。お互いの実家、福井の三国と東北のA市も行ったり来たり。Tと妻は学生時代から言いたいことを言い合う仲でした。Tは私の妻になる人として、妻は夫の数少ない友として、お互い親しみを持って接してくれていたのです。
大きな手術からまだ半年しか経っていない妻にとって、上越新幹線やほくほく線のシートはダメージが大きいはずです。それでも何とか芦原温泉駅に降り立つ事ができました。
数年ぶりの再会。少し痩せた感じはしますが元気そうで安心です。手術がどうだ・・・転移がどうだとの話を聞く必要はありません。笑顔が全てです。これからの人生は病気への恐怖と戦い続けなければならない事情を、お互いが解り過ぎるほど承知しているのです。
妻が娘にカニを求めたいと言うと車で幾つかの漁港の近くを何箇所も廻ってくれましたが、時化のせいかやっとのことで冷凍された足だけを求めることができました。越前海岸は水仙がいたる所に咲き乱れていました。
日本海の魚は学生時代から何度も食しています。今でもT自ら海に潜って獲ったさざえ等が毎年送られてきます。当時彼の父が漁協の役員をやっていた関係で、泊まりに行くと何時も新鮮な魚が食卓に並んでいました。ヒラメの刺身は・・・40年近く経った今でもあの時の味が甦ってきます。
Tに今回案内されたのは越廼村の【一丁来】。潮の香りが漂う波打ち際で存分に海の幸を堪能させていただいた。今まで食べていた刺身と呼んでいたものは何だったのだろう。まだ“ズワイ”とは呼ばれない脱皮前のカニを“水ガニ”と言いますが、このカニの足は“タラバ”のようにポキッと折って身を抜き出して食べられます。二人は昼から大酒を飲んでしまいました。ただ下戸の私が飲んだ量は高が知れていますが・・・。胃にメスを入れた妻にはお造りやカニは当然無理で、私だけが満足した昼食となってしまいました。
『食べられない私の前で、よくもあんなに食べられるわね』とキツーい一言。
『また食べに行こうネ』となだめてはみたが・・・。