松江城
2008/06/14
大山寺発のバスは15時でしたが何とかバスに間に合い、米子には16時に予定どうり到着です。
L特急の八雲を利用すると松江には16時30分で、お城が閉まってしまう18時には余裕の到着である。時間もある事だし30分はかからないだろうと思っていたから、城に向かって歩き始めた。途中で確認のために紳士に道を聞くと『歩いて行くんですか?』との返事。考えたよりどうも遠いようだ。『バスがありますよ』と教えていただいて一緒に歩いてくれているので、断りにくくなりもう一度駅前に戻った。バス停に立っていると運良く待つこと僅か1分ほどでバスがやって来た。【県庁前】まで10分ぐらいを要したが、町の風景を楽しみながら載っているとあっという間で、時間を大分得した気がする。観光客には便利な街だと思った。
堀川遊覧で知られるとおり松江は水路やお堀が現在も維持されており、お堀の中の城は浮島の上に立っているようである。天守に登ると風が吹きぬけ、ここまで汗を滴らしながら昇ってきた身体には非常に心地よい。天守からは宍道湖が見渡せ、まさしく松江は水の都と感じた。そして当然大山まで望む事が出来た。感慨一入である。珍しいものとしては2階部分に井戸が掘られていた。籠城戦のためのものだろう。改修後の材木が展示されていたが、大分傷んでおり数百年の歴史を目の当たりにした。コンクリートのお城風にはありえない。
松江城を築城した堀尾義晴は関ヶ原で徳川方についた武将である。私は本来【武士はニ君にまみえず】であるべきと信じている。だから堀尾義晴・山内一豊などの武将は嫌いである。そのせいで松江城に対する思い入れが薄いのかも知れないが、そんな理由だとしたら松江城にとっては迷惑な話である。
天守の前に取り付けられた櫓・・・このような造りを【複合式】と呼ぶが、構造的な話は【旅あれこれ・・・エッセー・・・シリーズ・・・現存12天守】をご覧ください。ここにも現存する12の城のうちの登城済みの城の解説があります。
1時間ほどで城をあとにし駅に向かった。そして駅に向かいながらバス停を探したが要領がわからない。降りたバス停の向かい側を探してみたがバス停が見つからず、駅に向かって歩き始めた。そしたら駅行きのバスとすれ違った。考えられなかったがとりあえず近くのバス停で止まる事を期待し、走って追いかけた。結局は降りたバス停で待っていると、循環のバスが駅まで運んでくれる単純なものだった。何と運転手さんは走って追いかける観光客に気がついていたらしく、私が追いつくまで止まって待っていてくれた。なんと余裕のある町なのだろう。私が同乗していた客だったらバスの中でイライラしていたに違いない。そして乗ってきた私に対していやな表情の一つも顔に出していたはずである。
バスの中にいた客の誰一人迷惑そうな表情をする人はいなかった。
雰囲気を楽しみながら歩いても良かったし、宍道湖の夕日を見てもよかった。しかしお腹が空いてどうにも我慢できず、冷たく喉を潤す麦のジュースと蕎麦の魅力に負けてしまった。でも大きな期待を抱いて入った出雲蕎麦のお店の蕎麦は、期待を大きく裏切るものだった。店名は可哀想なので秘。
ホテルに入って宅配便を作って重い靴などを発送した。明日は軽いザックでウォーキングだ。