百名山完全踏破・・・光岳・上河内岳・茶臼岳・易老岳・希望峰
平田影郎
※上河内岳ピストン 所要時間
茶臼小屋 11時30分→→→12時50分 上河内岳山頂 13時15分→→→14時30分 茶臼小屋
八月中に百名山達成のつもりであったが、家を新築する雑務に追われとうとう8月の時季を逃してしまった。となるとどうしても9月中には終えたいと思っていた。地鎮祭やら基礎工事など着々と進む工事の間隙をぬっての挑戦だったのもインパクトがあったが、百名山達成の光岳が忘れられない記憶として刻まれた理由は・・・下山しての第一報が【母の死】だった。
波乱万丈な私の人生らしいエピソードではある。
光岳・・・百名山目の山としてもだが、母の死と取り替えたような山として忘れることはできない。
畑薙をベースとしての登山は今回が3度目。道もある程度覚えたから、新静岡インターからのコースとした。これまでは金谷からのルートを取っていたが、我が家からだと時間的には新静岡からが有利だ。
大雨の影響でルートが閉鎖されていることが心配されたが、富士見峠を通るルートは確保されていた。心配した通り途中で3度大型車にバックさせられる。
大井川鉄道は大雨の被害で営業休止中。井川駅にはロープが張られていて、広場に車が入れないようになっていた。
この後三日は入ることができないので、白樺荘でとりあえずお風呂に入る。この時間が実はラッキーで、風呂に入っていると空が一転掻き曇り雷を伴った土砂降りとなる。明日以降の天候が心配されたが、雨は1時間ほどで上がった。
夕方になって一旦ゲートまで行くが、駐車場はガラガラ。明日の朝に来ればいいと考え、ダムサイトまで戻った。翌朝はこのゲートから歩き始めるので、ここに泊まるのが効率的ではある。しかし・・・トイレがない。
一方ダムサイトには比較的綺麗なトイレがあるから、駐車場の取りあい合戦がなければダムサイトに泊まる方が安心だ。
ダムサイトに戻ると何人かが後からやってきて、5・6人が泊まるようでセキュリティ的にも安心だ。奈良の方と一杯やりながら話が弾む。
このルートは初めてというのでいろいろ質問に答えてあげた。椹島から登るというのでバスに乗るため、翌朝は臨時Pに戻るらしいので今夜のうちにお別れの挨拶をする。
2時半にアラームで起きて食事を摂る。トイレを済ませて、ゲートには3時半に移動した。予想通りゲート前の駐車場は一台も増えていない。
4時ごろに若者の車が一台やってくる。暗いうちから歩き始めるのかと思って、『一緒に行こう』と声をかけるが、明るくなるのを待つらしい。
明るくなるのを待ったが・・・こんな時の時間の進みはやけに遅く感じる。とうとう待ちきれず私はスタートする。林道は暗くても心配いらず、大吊りを渡る時に明るくなる計算だった。歩いているうちにかなり明るくなり始め、橋を今日のトップバッターとして超える。ヤレヤレ峠まで私の足でちょうど30分である。キツイ登りだ。
そもそも光岳に登るためには飯田からの方がアクセスが良い。しかし百名山達成の山行に合わせて、上河内岳や茶臼岳に登りたい・・・そのためには畑薙からのコースが絶対である。
ヤレヤレ峠から沢に向かって下って行くが、これが実にもったいない。途中でいくつもの小さな吊り橋を渡る。ゲートで声をかけた若者が追い越して行った。鉄の梯子を超えると、ほどなく【ウソッコ沢小屋】となる。
ウソッコ沢小屋は既に営業が終わっていて、扉も釘止めになっていた。面白い事に・・・表に鍋がぶら下げられている。どんな意味があるのだろう。
20分休憩しておにぎりをお腹に入れる。ここからは急登になるので、腹ごしらえだ。【中の段】までは辛い登り。下りに弱い私は帰路が心配される。中の段からもかなりの斜度だが、それでもウソッコ沢小屋から中の段への登りよりは息がつける。
どの山に登っても楽な登りは無いが、南はタフなコースばかりだ。赤石への登り、聖平小屋への登り、そして茶臼への登りも・・・。
木々が途切れると目の前に横窪沢小屋が見えてくる。ここも既に閉鎖されていたが、冬季小屋は自由に使えるようだ。この日も夕べ泊まったという若者が食事をしていた。
横窪沢小屋はこの日に予定したコースのちょうど半分に当たる。萎えそうな心に活を入れるために、再び15分の大休憩とした。
しかし・・・数時間の登りの間中、全く息をつける場所がない。厳しい登りの連続だが、気持ちが途切れそうになる要所要所に休憩所が設けられている。
これが・・・後どれだけ登るの?・・・に応えてくれる。これは大いに役に立った。どこどこまでの2分の一・・・だから全体の何分の一・・・と言うように。時にはユーモアあふれる表現もあって、辛さに打ちひしがれそうな心を癒やしてくれる。
やっと茶臼小屋への水平道に到着する。だが水平道とは言いながら、水平ではなく普通の登りである。これまでの登りから見れば水平に近い・・・?
水平道を進み木立が切れたところで、茶臼小屋を望む。青空の中に佇む小屋は素晴らしい絵になっている。小屋には泊り客で一番の到着だったらしく一番端のスペースをもらえた。この日は平日で問題なかったが、翌日の土曜は小屋として記録的なほどの登山者で・・・端を確保できたのは幸運だった。
混雑の中でも比較的眠れたから・・・端で無かったら両脇の人が気になって眠れなかったに違いない。
土曜日はトイレ前のスペースまでテントが張られるほどの登山者だった。
談話室でおにぎりを食べていると、スタッフがお茶を容れてくれた。喉が渇いていて、これはありがたい。
食事を終えて上河内岳を目指す。一旦休憩を挟んだら、もう体は楽を覚えてしまって動いてくれず稜線までの10分が辛い。
それにしても素晴らしい天候で、聖岳・上河内岳の勇姿に向かって進んで行く自分の高揚感を感じている。
分岐に到着すると山頂までは10分ほどだ。この分岐で一息入れるも風が強く、ゴアテックスの雨具を着込んだ。
この先の縦走路は聖平小屋に向かって大下りとなる。その遥か稜線の先を見下ろすと、前回泊まった聖平小屋の赤い屋根が見えた。
山頂からの眺望がまた素晴らしい。これだ・・・これを味わいたくて、ここまで来た。南アルプス南部の3.000㍍峰三座が実に雄大で、大きな空を一杯に聳えている。
百名山を翌日達成できなかったとしても、私は今回の山行を満足したはずだ。あまり【達成感】などを意識したことがない私だが・・・すべての山行の一つ一つ大切な山行で・・・特別思い入れのある山行を作らないのだが、今回はなぜが達成感がそして来てよかったという思いを強く感じたのだった。
夕食は評判のマグロの刺身。翌日は違ったので1日おきに刺身のようだ。だから1泊だと刺身に当たらない可能性がある。
早めに小屋に戻れた私は『どうして刺身が出せるのか』が気になって、談話室でビールを飲みながら横目で調理場を見ていた。刺身はその都度運び上げられるのではなく、冷凍物の解凍だった。当然食べては少し生臭かった・・・のは、仕方がないか!
3時に起きてあれこれ準備をしていると30分の時間は短い。少し寒かったが、どうせ直ぐに汗をかくと思って風よけを着ないで歩き始めた。
コースタイムは13時間以上と表記されているが、私は10時間と踏んでいた。4時に出発して3時には戻りたい・・・寝る場所を確保するため。でも結果としては前夜と同じ場所を確保してくれてあったので・・・先にも述べたようにラッキーだったなあ。
茶臼の山頂はまだ真っ暗。木道を下って仁田池もまだ真っ暗。それでも空は少し明るくなって、富士山がまだ上がっていない朝日に映えていた。
喜望峰まで歩くとやっと辺りが白んで来た。しかし喜望峰のピークは樹林におおわれ、照明を当てないと看板が読めないほど。
ここは90度に進行方向が変わるので、うっかりすると別な方向に進んでしまうので注意だ。
易老岳で易老度からのコースを併せる。しかしどこが易老岳なのかは判らなかった。5分休んで出発する。ここからの下りはもったいなくて・・・折角登ったのに吐き出さなければならず、帰りの苦労が思いやられた。
そろそろ夕べ光小屋に泊まった方たちと出会うようになったが、光岳に向かうのは私が先頭のようだ。
静高平への登りはガレた沢を登る。この登りに意外に手こずる。登っても登っても沢から脱出できない。数十分だと思っていたが、確実にこの沢だけで1時間以上登った。
茶臼から光へのこのコースは確かに長い・・・しかし厳しいところは無く、せいぜい静高平へのこの沢だけが厳しい登りと言える。
静高平まで登ると後は大した登りではなく、楽勝のハイキング程度。
静高平では水がこんこんと湧きだしていた。水が心配で2.5㍑も持ってきたが、朝早くて涼しかったせいかほとんど水が減っていなかった。重い水を沢山背負ってくる必要は無かった。
水場の水は全国どこの山でも必ず口にしてみる。その時の渇きにもよるが会津駒と新穂高からの秩父沢の水が、印象に深い。
気持ち良く木道を歩いていくと光小屋が見えてくる。下山者とすれ違うこともなくなった。この一帯は這松の南限と言われている。
それを写真に写す。
小屋到着は8時半前。小屋はひっそりと静まり返っていた。スタッフは宿泊客を送りだし、休憩時間なのだろう。小屋の周りでキジが数羽遊んでいる。
ここから山頂までは10分ほどだろう。アップダウンもほとんどなく、眺望の無い山頂到着だ。
山頂標にタッチして・・・平成13年、妻が病気を罹患したのをきっかけに、病魔退散を祈願して始めた私の日本百名山登頂はここに完結した。思い起せば実に波乱万丈の挑戦であった。
黙々とただ一人での挑戦は・・・ともすれば心が折れそうなこともあったし、挑戦する意味を何度も自問自答した。それでもあきらめずにここまで来られたのは、やっぱり家族の支えがあったからだと思う。
声援いただいたみなさんや、折々の山行で同行してくれた仲間、そして山で知り合い支えてくださった皆さん・・・ありがとうございました。
写真を写そうと思ったが、不安が的中して山頂には誰一人いなかった。登山者を待ちながら時間つぶしで【光岩】に行こうと歩き始めたが・・・・『ちょっと待てよ! その間に登山者が来て帰ってしまったら・・・』と思うと、山頂を離れられない。食事をしながら登山者を待っていた。
それにしても誰も来ない。こんなに登山者が少ないわけはなく、時間があまりに早すぎたようだ。仕方なくセルフタイマーで撮る事にしたが、人生で一度として使った事は無い。セルフタイマーによる山頂写真は10枚も写した。初めての使用だったが、無事に写す事ができた。
最初の一枚はシャッターがすぐに切れてしまって、何も写っておらず。2枚目は足元でシャッター音がしたが・・・見事に足だけが写っていた。3度目の正直でやっと山頂標と私が写っていた。
食事を終えて写真を写して・・・山座同定を楽しむと既に50分が経過している。どうも雲の動きが怪しい。雨になったら困るので、下山にかかる。小屋まで半分のところに戻ると、初めての登山者と出会うが・・・すでにセルフタイマーで撮っていたから・・・『もういいや』。再び山頂に戻ることは無かった。
ガスが湧いて峰々の頂を覆い包んでいる。雨にならなければ良いが・・・は杞憂に過ぎた。少し下るとガスは一気に払われていた。
このあたりは自然環境としても見るべきところが多い。亀甲状土という亀の甲羅のようなボコボコは珍しいものらしい。
山として・・・木があり水がありそして時期には花が咲き、登山者としては楽しみの多いコースである。穂高や槍のように岩の山はダイナミックで、多くの人は憧れを持つだろう。しかし私はこのコースのように樹林帯の中に池塘が点在し、花が咲き誇るコースが好きだ。
光岳はアルピニスト(?)からは評価の低い山だが、わたしにとっては私の感性フィットした素晴らしい山だった。この山を百名山目に選んで正解だった。しかも今回はそれプラス【上河内岳】だから、満足の一言である。
帰路は気が重い・・・易老岳への登り、喜望峰への登り、茶臼への登り・・・難所が3つもある。中でも喜望峰は確実に1時間は登り返さなければならないだろう。下山では次から次と登山者とすれ違う。往路とは大違いで、登山道がにぎやかだ。
易老岳で休憩していると何処からともなく大勢の声がして、その方向に行ってみた。そしたら地元の山岳会が易老岳の看板を立て替えていて、一緒にお手伝い。参加した皆さんの全員写真を写してあげた。
全員からカメラを渡され、一台のカメラで2回として30回はシャッターを押した。そして私も写していただいた。
新しい看板になって初めて写った登山者が私である。
喜望峰の登りではもうヘロヘロ。途中で休憩して食事を摂った。フルーツゼリーやエネルギージェルなど、喉を通りやすいものだけを取ったが、お腹に力は湧かない。
折々望むことができる茶臼への登り。振り返れば喜望峰からの下りが垂直の壁のようだ。行きには真っ暗だった茶臼の山頂で写真を写す。ここをクリアすれば、後は小屋にゆっくり下るだけだ。時計を見ると14時半、全く予定した通りの歩きであった。
小屋の管理人さんにベットの場所を聞くために声をかけると、早い到着に驚いていた。それでも下から上がってきた人や縦走の人は多くの人が到着していて、テントサイトはカラフルな花畑さながらだった。
この日は恐ろしい夜になる。通路と言う通路にまでテントが設営されて、ペグやロープで足の踏み場もないほどだった。最終到着者のサイトはトイレ前の通路だった。
小屋の夜はまたすごい事に・・・。50㌢に一人のスペースで、寝返りも打てない状態になる。こんな混雑の山は20年ほど前の五竜山荘いらいだった。
この日もマグロのお刺身かなと思っていたら別なおかずだった。クローズ前で在庫が切れたのか、それとも一日おきに出すのだろうか。
今日私が百名山完登を知っていた管理人さんが、500mlのビールをサービスしてくれたが、私は小屋に戻ってからご機嫌で3本も飲んでいた。ヘベレケ。
もうこれ以上はだめ・・・と判断して折角の御好意を350mlに変えてもらった。勿体なくてよだれが落ちた。普段ではありえない。
ここでも・・・この山を百名山目にして正解だった。
あまり寝ていなかった翌朝、富士山の朝焼けを見ていた。カラフルなテントサイトにも陽が当たってゆく。既に暗い中をテントをたたんで出発する登山者。今日はどこまで行くのだろうか・・・私もまだまた歩いていたい。百名山は通過点でしかない。
横窪沢小屋で知り合ったご夫婦と一緒に下る。ところがこの旦那さんが目の前で崖から滑り落ちて行った。せっかちな旦那さんで、奥さんを置いて一人で行ってしまう悪い癖。私は二人の間で後ろの奥さんと前の旦那さんに気を配りながらのときだった。
一瞬の出来事で何が起こったか理解できなかったが、旦那さんが掴まっている木から登山道に這い上がってきた。
たまたま登ってきてすれ違う寸前の若者が全てを目撃していて、後から話を聞いた。登山道に張り出した大木の枝に頭を打ちつけて、そのままがけ下に落ちた・・・と若者は思ったそうだ。そしたら70歳のこの旦那さん、70歳とは思えない反射神経で崖の途中の木にしがみついたというのだ。
私は這い上がるところからしか見ていないので、そのシーンを見ていたら生きた心地はしなかったはずだ。
そこでこの話は終わらない。旦那さんは『少し先に行って体洗ってます』といってスタスタ行ってしまった。写真の通り奥さんは階段を前向きで降りることができないように・・・山慣れしておらず動きが遅い。当然奥さんをサポートしていた私は、旦那さんを見失った。さあ大変、旦那は前にいるのか、後ろなのか。身体を洗っている間に我々が追い越したのだろうか? 山では一番これが困る。
行きつ戻りつ旦那さんを探しながらの下山。すれ違う人にこういう人を見なかったか・・・と聞いてもなかなか要領を得ない。結局旦那さんは先に下山していて、畑薙大吊橋の袂で待っていた。私はまたまた人妻を奪ってしまった。いや・・・押し付けられたのかも。
いずれにしてもこんな経験が多すぎる。
下山して白樺荘へ。蕎麦とビールを注文して・・・・・『少し寝てから帰ろう、だが待てよ』何故か家の事が気になる。3日間も連絡が取れずにいたから・・・とりあえず電話。
ここは携帯が通じないので公衆電話で電話を入れると妻が出て・・・『おばあちゃんが亡くなった』
『おばあちゃんてっ?』
『あなたのお母さんよ!』
亡くなったと言うなら焦っても仕方は無いが・・・それでもたった一人の母親の死に顔だけは見ておきたい。火葬の前に岩手まで行かないと!
ジッと注文しておいたテーブルの上のビールを見つめる。一口だけ・・・一口だけなら・・・とぐいっと煽って車に飛び乗った。ここから家まで8時間運転し通しだった。
そして翌日早朝には岩手に向かって車を走らせた。百名山達成は母の死に目と取り替えた価値のある山行となった。苦労し続けた母への想いを・・・忘れていたなあ。