表銀座のプチ縦走・・・燕岳・大天井岳
平田影郎
山小屋の土曜の混雑を避けて・・・日曜なら幾分空くとの判断で、土曜の昼過ぎに家を出て、穂高に夕方到着した。
土曜に下山する登山者もいるだろうから、駐車場は空いているはず・・・が一台分も空いておらず、しばらく待っていた。
なんとこの日は穂高町の夏祭りで、駅前のこの駐車場は祭りの参加者にも見物人にも・・・絶好の場所。
運よく10分ほどで祭りの見物人が数組帰ったので、停める事が出来た。
この時点で、夜、祭りが終われば空くだろうと考えていたが、翌朝目を覚まして表を見るとほとんど空きは無い。結局祭り関係の人の車ではなく、登山者の車だったようだ。
シーズン最盛期の北アルプスの登山者の数は・・・侮れない。危うく車の駐車すらできずに泣きを見るところだった。
無料のこの駐車場は100台以上は停められそう。登山者や観光客にはありがたいが、ただ住宅街なので近隣の人たちは迷惑に思っているに違いない。
国道から大町に向かって穂高駅入り口と言う信号で左折。駅に突き当たる信号で左折。100㍍もせずにまた突き当たるので左折すると10㍍の位置に下の写真のこの看板があり、右折。
そしてこの私道のような奥が駐車場で、回り中が民家になっている。
入り口にはバス停があり、中房温泉行きのバスはここから乗車できる。
キャンピングカーだったので、夜はゆっくり眠れた。暑かったが換気扇を回すだけで十分快適な温度にすることができた。
今回の計画は中房温泉・・・燕山荘・・・表銀座コース・・・大天井ヒュッテ・・・脚力が残っていたら、途中の赤岩岳の山頂を踏んでヒュッテ西岳まで進む。
そして二日目はヒュッテ西岳から西岳と赤沢山の二座をそれぞれピストン・・・大天井ヒュッテ・・・大天井岳・・・燕山荘・・・燕岳・・・中房温泉。
百高山を一気に4座(実際は5座だが既に燕岳は登頂しているのでカウント外)、そして表銀座を歩くことで白地図に赤い線を引くことができる。赤線が燕山荘からヒュッテ西岳までつながることになる。
前夜のうちにパッキングがしてあり、朝になって登山用の衣服に着替えるとやる事もなく・・・バス停に並ぼうかな。
4時にバス停にザックを置いて、トイレでも行って来ようとした。するとまだ暗いというのに数台のタクシーが駐車場の中を徘徊。
客を探しているようだ。どこでもそうなので、おそらくバスと同じ料金だな・・・と思って話を聞いていた。1.700円で5人集めたいようだが5人目が見つからない。
『2.000円出してくれたら4人で出発するけど』というので、全員がOKして4時15分ごろには出発できた。
中房温泉には5時に到着。身支度を整えて5時10分に出発できたのは、この日の行程に大きく役立ったが・・・残念なことに折角のこのメリットをこの後無駄にしてしまった。
合戦尾根の登りは『北アルプスの三大急登』と言われているが、前回は手を焼いたという記憶がない。順調に登れた。
ほぼ30分おきぐらいに『ベンチ』と言われる休憩所があり、なるべくそこで休憩を入れることにする。というのはこの日のコースは長くて、しっかり休憩を取りながら行かないと途中で脚力が持たなくなりそう・・・。
第一ベンチ、第二、第三、富士見とそれぞれのベンチで5分の休憩。合戦小屋ではトイレも含めて15分の休憩。全く順調。
この時期、合戦小屋はスイカが定番。多くの人が購入しているが、イマイチ好きになれないのでパス。ブログ用に写真は撮りたいものの、他人のスイカを写すわけにもいかず・・・写真は無し。
朝食の残りのパンとバナナをお腹に入れる。足の筋肉にエネルギーを供給する。
合戦小屋を過ぎると眺望が聞くようになり、尾根越しに槍の穂が頭を突き出していた。そして大天井岳の勇姿も。
前回の時はこの槍の穂に大感激した記憶がある。そして何としても『槍』に登るぞ!・・・と。
また少し高度を稼ぐと燕岳の白い姿が見えてくる。そして燕山荘が見えてくると、そのカットはまるでいっぷくの絵のようだ。
ヨーロッパを思わせるようなそのロケーションは何度見ても飽きが来ない。人気の山・・・の所以だ。
ここから30分ほどで燕山荘にたどり着く。稜線に飛び出すと目の前には槍ヶ岳の凛々しい姿がある。
タクシーに乗れたお陰で予定よりかなり時間に余裕ができた。大天井ヒュッテを1時に設定していて、所要時間を3時間見ても燕山荘を10時に出発すれば良い。ということは1時間あるので、燕岳往復が可能だ。
ザックを置いて早足で往復すると決めた。なるべく一つ一つクリアしておかないと、おそらく帰路では登らない決断をする可能性もある。精神的に弱い人間なので・・・先延ばしせずに行ける時に行くべきだ・・・と。
途中の砂礫帯にはコマクサが群生する。前回は既に紅葉が始まる時期の登山だったために、花の百名山燕岳の花は見ていない。燕岳ではコマクサを見ずに『登った』とはいえ無いほど重要な要素だ。
蛇紋岩の美しい岩の中をすり抜けて、16年ぶりの山頂到達。360度の大パノラマに魅了される。
確実に一座をものにする。満足。
10時前には燕山荘に戻り付く。この後の長大なコースを控えて、しっかりと休憩する。と同時にエネルギージェルを補給。
更に水の量に不安があったので、ポカリを一本買い足す。大天井ヒュッテまでの水分は500ccが3本となった。
500ccを5本用意して合戦尾根に挑み、2本を消費。そしてここでの休憩でも1本消費した。
ベンチで前後して登ってきた若者が『相席、良いですか?』と声をかけてきて、いろいろ山談義をする。
山は始めたばかりで、この燕岳は初めてのアルプスだという。長い間に気力がなえる事もあるので、何か目標を定めた方が良いとアドバイスする。日本百名山とか・・・私がやっている地図上の歩いたコースに色を付けるとか・・・。
百名山は無理なので、色を着けてみます・・・と言っていた。
少し長居してしまったが、いよいよ目的の表銀座コースに突入する。
すれ違う人に声を掛けると、ほとんどの人が常念コースからの縦走者。喜作新道からの人にはほとんど出会わず、コースの状態を聞くことができなかった。どれほどのアップダウンなんだろう?
コースのアップダウンは厳しい・・・厳しくない・・・把握できていたら、あるいは大天井ヒュッテからヒュッテ西岳に向かっていたかも知れない。
最初のうちは脚力に余裕があり、喜作新道に進むことを90㌫考えていた。しかしやっぱり距離が長い。
平坦だとしても今年は最長で8時間しか歩いておらず、リミットの時間は刻々と迫っていた。
大下りでダメージがあり、為衛門吊岩の登りで喘ぎ・・・。切通岩附近では諦めモードと予定通りの行程が半々。
迷いながらも喜作レリーフ近くの分岐に到着してしまう。結論を出さなくちゃ・・・!
大天井岳の登りはどっちのコースも厳しそう。明日の事は明日決めれば良いや!
帰路で登頂するなんて決めても・・・ハッキリ言って私の心はあてにならない。この際まず確実に一座ものにしておこう。
分岐から左・・・つまり常念岳方面・・・大天荘を目指した。大天井岳に登ってから、また検討することに。
この登りの辛い事・・・近年にない辛さ。特に8時間のキャパを超えている脚力は限界だった事を意味している。
『大天荘まで500㍍』『400㍍』・・・と看板が立っていて・・・お陰で頑張れたなあ。『100㍍』では完全に限界でカメ足。
ほとんど喜作新道は頭から飛んでいた。
ほとんど・・・90㌫・・・今日はここで終わり・・・と考えているも、まだ10㌫の迷いはあった。
今日の予約状況を聞くと昨日ほどではない・・・との返事。でも結果は4時ごろまで飛び込みの登山者が続々と到着し、定員を上回るほどの混雑だったけど。
とりあえず大天井岳に登頂する。小屋からはゴーロ帯を10分も登ると山頂である。この登頂に要する10分で意思は固まった。バテバテのこんな状態では、喜作新道を断念する。
そうと決まったら山頂ではゆっくりと山座同定をしながら、360度の大パノラマを堪能した。百名山ではないけれど・・・
名山疑い無し。
山頂からは喜作新道が良く見えた。こぶのように続くアップとダウン。今日は間違いなく・・・行かなくて良かった。
近い将来、脚力を鍛えて必ずリベンジすると誓う。
高瀬ダムが青い水を湛えていた。
小屋に戻って泊を申し込む。案内されて4人ほどの場所に案内される。2階との仕切りが低くて、何度も頭をぶっつけた。
山ではなく小屋でヘルメットを着用すべきだった。
荷物をほどいてテントサイトなどをぶらぶらしたり・・・大天井ヒュッテを確認したり・・・と何か小屋前でトラブルか?
近づいて話を聞くと台湾からの夫婦の登山者が、8人のパーティと離れて大天荘に来てしまったと。家族での登山と言う。
日本の山は初めてで、日本にいる姉に連れてきてもらったので地図も持っていない状態。当然日本語は話せない。
話の輪の中にいる日本人男性が分岐で声をかけられた状況は・・・。
『大天井はどっち?』と聞かれた感じだったので、『大天井岳に登りたいのか?』聞き返したらしい。
そしたら日本語が分からないが、オテンショウと聞こえたので『ハイ』と答えた。そこで日本人男性は大天井岳に連れて行ってあげようとの親切心から、ここ、大天荘に連れて来たらしい。
ところが夫婦はここまで来てから、大天井ヒュッテでは無い事に気が付いた。パーティから遅れたが、パーティの今日の泊りの予定はヒュッテ西岳で、そのあとを追うために『大天井ヒュッテ』はどっちかと、聞いていたのだった。
反対の方向に来てしまって時間は3時を回って4時に刻々と近づく。私と話している間には4時になっていた。
旦那さんは西岳まで行くと言い張るし、奥さんは足が限界。パーティから遅れてしまうほどダメージを抱えていたから、西岳に到着するのは・・・5時間かかるとすると、夜の9時になる。
到着出来ればいいが、到着できなければ疲労凍死も考えられる。
何より地図もない夫婦に地図をあげて、いろいろ情報を書き込んであげた。今日はここに泊まりなさい・・・と大天井ヒュッテに印をつけ、明日は5時から食事だろうから6時に出発して西岳ヒュッテに10時到着・・・休憩したら再び家族の後を追って槍ヶ岳山荘まで5時間歩く。
奥さんの足を考慮した山行計画を作ってあげて・・・そのころには西岳まで行くと言い張っていた旦那さんも軟化していて大天井ヒュッテに泊まることを納得した。
この間、言葉が通じない相手と1時間以上はレクチャーしていた。
台湾の携帯電話はすごくて、向こうもこっちも電波が悪い状況なはずなのに・・・どこでも通じる感じ。家族と連絡が取れたようだ。
結局は槍ヶ岳を目指していたのだから『槍ヶ岳はどっち?』と聞いてくれれば、日本人男性も勘違いしなかっただろうけど。
本当に大天井ヒュッテに泊まったかは定かではない。事故になってなければいいが・・・。
感謝してくれて握手して別れた。そしてテントサイトの縦走路まで見送った。
物好きと言うか、よくこうした山でのトラブルに遭遇するのは、余計なお世話が好きな性格なんだろう。
ご夫婦を見送って小屋に戻ろうとしたとき・・・一人の若者が『ちょっとお願いして良いですか?』と声をかけてきた。
『ああ、良いよ。何だい?』『実はテントを張るのが初めてなんですけど、正しく張れているか見てもらっていいですか?』
ペグの打ち方が悪くて、これでは風には耐えられないという状態だったので、目の前でスルッと抜いて見せた。
そして『こういう角度で打ちなさい』と指導。練習はしてきたらしいが、家の中でやったのでペグを打つまではやってなかったらしい。
他にも色々参考になりそうなことを話してあげた。
組み立てる時に後ろを通る人にポールを踏まれないように、後ろにも注意を忘れない事山は風があるのでポールを刺して立ち上げたら、先にザックをテントの中に放り込むと重しになって固定しやすいとか。
雨が降りそうだったらテントの周りに溝を掘って、下に流れるように堰を作れとか。
翌朝、挨拶を交わして別れた。好印象の若者だった。
大天荘の朝食は並んだ順。前夜のうちにパッキングは終わっていたし、スタッフが動く3時15分に電気が点いたので私も起きだしてウロウロ。
ふと食堂を見ると並んでいる人がいたので、私も並ぶ。3番目だった。
急ぐこともなかったが、食事が終わるとやる事もない。さりとて縦走路は明るくなってからにしたい。
空は白んで歩くのに何も問題は無かったが、とりあえずもう一度大天井岳に登頂しようと思い立つ。
僅か10分で山頂に立てるのが嬉しい。御来光を待っていると、槍ヶ岳が赤く染まり始めて・・・モルゲンロート・・・美しい。
この後常念岳に登頂し、一ノ沢のヒエ平登山口に下山。常念小屋でタクシーを予約して穂高駐車場まで戻る。5.000円。
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