剱沢から雪渓を・・・剱岳
平田影郎
山らしい山に挑んだものとしては、至仏山に次いで2座目だったと思う。
山の知識など何もなく、ただ憧れだけの無鉄砲なモノだった事が、今になってみれば良く理解できる。
山を良く理解したリーダーがいたからこそ達成できたのだろうと・・・。
別山乗越から剱御前を回って行こうとしたが、御前まで行ってみるとその先のルートはまだ作られておらず、一旦戻って剱沢を回って進んだ。
剱山荘(けんざんそう)に一泊したが、当時の小屋は数年前に雪崩で崩壊してすでに無く、2006年(?)に建て替えられて新しくなっている。
建て替えられる前の小屋には展望用のテラスがあって、峰々を望みながらリーダーが担ぎ上げたビールをしこたま飲んだ。
本格的な登山にも天空のロケーションにも、そして回りの早いアルコールにも私は大いに酔っていた。
当時の剱山荘は山小屋としては珍しくお風呂に入れた。到着が早かった私たちは一番風呂に入る事ができた。
前剱の登りで先行者がガラガラと落とす大きな石の恐怖に震え、岩陰に入ってもワナワナと足が震えていた記憶がある。
平蔵の頭からコルへの下りでは往路と復路でルートが違うのだが、下山者が間違えて登山ルートの鎖をつたって来てバッティング。大慌てした。
ところがその50歳ぐらいの女性の下山者は、『ごめんなさ~い』と言いながら垂直の岩壁をへつって下山コースの鎖まで移動してしまった。
これはビギナーの私にとっては信じられない光景で・・・『山にはすごい人がいる』と印象付けられた。
それが特に女性だった事が余計にショックだった。
鎖場では・・・足の下に数百㍍も何もない・・・恐怖を経験。これが一般ルートだというのが、当時はとても信じられなかった。
それでも・・・初めて目にした天空のロケーションは・・・言葉にならず、私は山へとのめり込んで行く事に。
山行2回目で【雷鳥】も目にした。
下山日は【海の日】だったこともあり、ロープウェイの整理券は15回程、数時間も待つ番号だった記憶がある。
駅舎は立錐の余地もなくザックを床に置くのも憚れる程の混雑だった。それでも未だに山行が続いているのは、私の中で【山の魅力】が何にも増して素晴らしいからだ。