遥かなる山・・・薬師岳
平田影郎
今回は黒部五郎と薬師を連続して登頂し、富山まで出かけるのを終わりにしようと考えたコース設定である。そうすれば今後は長野サイドから挑む事が可能になる。問題は鍛錬不足の脚力だが・・・はたしてどうなる事か?
立山ICを出るとすぐに道が解らなくなってしまったが、このあたりではまだまだ【有峰方面】の表示はない。カーナビを付けてはいるものの全く使いこなせていない。早速歩いている叔父さんを捕まえて聞くと、叔父さんは親切にしかも解りやすく説明してくれた。お陰さまでこのあと折立まで迷う事は無かった。
有峰林道は数箇所で工事が実施されており、重機を運ぶトラックなどに前を走られると最悪である。事実、出勤時間に当ってしまったため、随分時間をロスしてしまった。交互通行の信号やらトラックから重機を下ろす間に待たされたり、気短な人には耐えられない。8時半には折立に着いてゆっくり9時には出発したかったが、小1時間の予定が狂いを生じてしまった。
通行料1.800円は高速道路1.000円の時代に、なんと無くしっくりしないものがある。
駐車場は平日と言う事もありまったくガラガラの状態であったので、最も登山口に近いところに停めた。
登山届けを出して出発しようとすると・・・何とアサギマダラが飛んでいる。帰りに少し粘って写真を撮ろうと思った。
太郎坂はしっかり整備されていて意外に歩き易く、あまり疲れを感じないうちに三角点に到着した。意識してゆっくりの歩行だが全くコースタイムで歩くことが出来た。電話の電波状態を確認すると通話が可能で、用事が無かったが妻に電話を入れてしまった。
しかしこの後【ドコモのフォーマ】では下山するまで繋がるところが無かった。
少しずつではあるが天候は回復の兆しが見受けられ、折々に有峰湖を俯瞰する事が出来た。この道は数年前に【腹黒い相棒】が薬師沢でイワナを釣るために、喘ぎ喘ぎ登った道でもある。
登山道はよく整備されていて上りには非常に歩きやすい。登山道に沿ってイワショウブやムラサキケマンが残っていて・・・花には遅いだろうと思っていたので何か得をした気分である。
不思議に鍛錬不足の足が健闘してくれて、多くの人を追い抜いて太郎平小屋に到着してしまった。途中で食事を摂ったりしながらの4時間での踏破は十分に立派である。
本当はここで泊まり明日は黒部五郎を往復するはずだったが、体力的に100パーセント自分を信じる事が出来ず・・・絶対に終了させておきたい薬師岳を先にしようとターゲットを変更し、薬師岳山荘に向かって出発。この時点で時間は十分過ぎる程あった。
出発してキャンプ場を過ぎて登りにかかると、小雨が落ちだし雷もなり始めた。一番心配していた事が起きてしまった事で私は少し慌てていた。
厳しい顎が出るような沢の登りと、さらには気持ちが焦っていたことが重なり益々心臓は唸りを上げている。それでもところどころで
見かける花たちには心が癒され、励まされもした。ここまで花が残っているとは思っても見なかった。
ウサギギク、ヤマハハコ、アキノキリンソウ、ウメバチソウ、リンドウ等々。
沢を抜けてザレ場になってからの上りがきつい。一歩一歩の足が進んでくれない。何時になったら小屋に到着できるのか・・・本当に小屋はあるのだろうか・・・雷がやんでくれない状況では、全てのことが不安の材料であった。幸い雷の音はまだまだ遠くにあり、慎重な私でも歩を停める事は無かった。
ザレ場を過ぎて尾根に出ると雷鳥の親子が遊んでいる。母親は腿の部分に早くも冬毛を纏っていた。私が近づくと子供達と反対方向に走り私の注意を子供から離そうとしている。全くこんな生き物ですら子供を守ろうと必死になっている。
それに引き換え一部の人間達の質の低さに呆れてしまう昨今、爪の垢を煎じてあげたい。
雷鳥の遊ぶ場所からほんの50メートルで小屋が現れた。何とか生きて到着できたようだ。この頃には雨もかなり本降りに近くなっていたので、ギリギリセーフと言うところである。
受付を済ませ雨具を乾燥室にほしてから、ビールを飲み始めた。テーブルでは私より20歳ぐらい若い男性が一人ビールを始めていた。早速挨拶を交わして、会話に華を咲かせた。
山は相当のベテランらしくありとあらゆるコースを熟知しており、山小屋の情報などをかなり頂く事が出来た。二人で雨が上がった後の夕焼けを見たり、夕食後も9時ごろまで話しこんでしまった。この日は薬師岳山荘が放送される田部井淳子さんの番組があると言う事で、オーナーがコーヒーを入れてくれて全員でそれを見た。
とっ言っても宿泊者は5人のみで、普段ありえないサービスをしていただいた。富山名産の干し柿を頂いたりコーヒー飲み放題だったり、何より私は屋根裏部屋に一人で寝る事が出来た。いびきのかき放題で確り眠る事が出来た。
オーナーは富山県警山岳警備隊の創設期に在籍した経験がある。早月小屋の佐伯さんたちとは仲間である。発電機も早月小屋からもらったという。例の男性とオーナーと三人でいろんな話をし、本当に楽しい時間となった。
太郎平小屋で停まらずここまで来てよかった・・・と実感した。
ただ小屋はギリギリ機能を維持している状態で、来年はリニューアルされた小屋で泊まることが出来るので請うご期待。内緒ですが天井からぶら下がっている白いものはビニール袋だが、最初混雑時に靴でも入れるものと思っていました。雨漏り対策で、雨漏りした雨を、この袋が受け止める・・・どれだけ効果があるかは幸いにも知ることができなかった。
袋がぶら下がっていないところは無いほどだが、今シーズンだけですから、我慢してください。
2時ごろに一旦目が覚めて3時ごろまで眠れずにいた。いつの間にかまた眠ったらしく、オーナーの起き出す音で再び目が覚めた。
ゆっくり準備をして出発した。2℃や3℃らしく、セーターをきて雨具を風除けに身につけた。ポケットには夕べ頂いた干し柿も入れた。ご来光は5時20分頃らしいので、山頂まで50分とすれば4時半出発で丁度よい。
外に出てみると夕べ見えていた富山の夜景も星も全く見えていないし、非難小屋も全くガスの中である。夕焼けに期待は高まっていたのに、今朝は全く期待できない状態である。
一歩一歩登るも空身というのはこんなにも楽なのだ。35分で下からは見る事が出来なかった非難小屋に到着した。ここで一旦道を見失ってしまったが、ガスの中では危なくてウロウロ探し回ることにも慎重にならざるを得ない。
事前にコースは頭に入っていたので左を巻いて進む。右側は断崖絶壁の【薬師岳の圏谷群】が展開しているはずだし、さらにその先には黒部川上の廊下が口を開けているはずだ。
厚いガスはそれらの全てを覆い隠し、全く知る事が出来ない残念な天候であった。巻き道を10分も進むとほとんど登る事も無く、薬師岳山頂に導かれた。
20分ほど頂上にいたがご来光は拝む事が出来なかった。残念だが空が完全に白みだしたので、ご来光の時間は過ぎてしまったようで、泣く泣く諦めて山頂を後にした。
わざわざこの山を選んだ肝心の目的であるお薬師様は、金色に輝いていかにも有りがたい光を放っていた。
小屋に戻る途中で再び雷鳥の親子に会うことが出来た。こっちの家族は10羽程の集団である。そこで夕べの男性に会い、再会を約束して別れた。今日は五色ケ原までの予定らしい。
小屋に戻って朝食を摂った後、パッキングをしなおし小屋を後にした。夕べ割れたトイレのガラスの補修をしていたオーナーだったが、仕事の手を休めて見送ってくれた。我が家からは富山側でも長野側でもどっちの登山口からにしても厄介な一座が終了した。
薬師岳とセットで考えると北アの奥は、本当に挑戦しにくい山域であった。これからは薬師岳の位置に左右される事無く挑戦するコースを決定できるはずだ。当然長野側からの挑戦になっていくだろう。
それにしても遠い・・・距離だけではなく尊大さや広い山域にしても、本当に私にとっては【遥かな山】であった。体力的にはヘロヘロである。
薬師平で槍ともお別れである。太郎平小屋に戻って少し考えてみた。十分黒部五郎小屋まで歩けそうではあるが、土曜の今日は小屋の混雑も想像を絶する程だろう。何となく気力が萎えてしまった。あせらず一座一座潰していけばいいや・・・と自分を納得させ、黒部五郎への挑戦を放棄することにした。
今後は長野側から挑む事が可能になった事がやっぱり大きく、この決断をするのに多くの時間を必要としなかった。
心が決まると何かサバサバして・・・今日の空のように私は晴れ晴れした気持ちで包まれていた。ほんの少しの悔いも感じられず・・・・・太郎平小屋を後にして折立に向かって下っていった。
流石に土曜日、登ってくる人は後を切らず次々に現れる。今晩小屋はどれほどの混雑なのだろうか・・・その渦中に巻き込まれないだけ幸せかもしれない。
そんな事を考えながら振り返ると、そこには【遥かな山】がどっしりと居座るように控えていて、あたかも私を見送ってくれているようですらあった。ここからは二度と望む事も無いであろう御仏の座す山に、確りと別れを告げた。
太郎坂まで来ると私の目の前をアサギマダラが飛んでいる。運良く花にとまってくれ、シャッターを5回ほど押す事が出来た。写真はそのうちの一枚である。
足が痛い・・・靴擦れ、筋肉痛、膝痛・・・それでも剱岳のことを考えたらはるかに余裕があった。登山口の自動販売機が見えたとき、一気に足の力が抜けていく自分を感じていた。