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秋と言えば柿

日常

昨日罹りつけの病院から『人間ドックの結果が出た』と連絡があり、早速今日行って説明を受けてきました。ついでに少し喉と頭が痛いので風邪薬も貰ってきました。
血液検査では全く異状項目が無く、数種類の腫瘍マーカーも全部陰性でした。ただ一つ胆嚢のポリープだけが年に一回の経過観察になりましたが、他はいたって健康な状態です。

明日から福島まで湯治に出かけるので、途中で食べる柿を剥いてタッパーに入れて準備しました。私は結構【柿】と【リンゴ】と【ミカン】が好きなんです。
今年は柿が豊作でいろんなお宅から貰いましたから、嬉しい悲鳴の年でした。

9月に仲間の素人氏から貰って以降、妻の友達や生徒さんのお宅から、そしてまた素人氏から・・・従兄弟も2回持ってきてくれましたから、毎日2個ぐらいずつ今日まで食べる事ができました。丁度タイミングよくなくなりそうな時にもらえたんです。

柿って熟しすぎてビチャビチャの物は美味しくないですよね。確りした果肉の状態で食べるのが好きですが、そんなペースでいただけて・・・ありがたいです。

子供の頃、我が家にはリンゴやサクランボなどがありましたが、柿はありませんでした。小学校低学年の時に6年生になる近所のガキ大将がいました。そのお宅には柿の木があり、そのガキ大将は何かにつけてその柿を利用して我々を服従させていたのでした。

『○○を持ってきたら柿をやる』『最初に○○を取って来たら柿をやる』と言われ、5年生ぐらいの子は課題を克服して柿をゲットしていましたが、私は小さすぎて彼の要望に応えられる事はありませんでした。どうしても上級生にはかなわなかったのです。

貰った子はおいしそうに食べていましたが、私はその姿をいつも羨ましく見ていたものでした。小さい子が食べたいのに食べられない試練は、ずいぶん辛いものだったと思います。55年を経過しても脳裏にはっきり残っているんですから・・・。

戦後の皆が貧しかった時代の一コマです。でも・・・貧しかったけど・・・辛くは無かったですよね。むしろ鮮やかな記憶が残っていますから、楽しかった思い出なのです。
この地に移って家を建てましたが、最初に柿の木を植えました。当然遠いあの日の記憶を呼び起こしながら植えたのです。残念ですが現在は妻の仕事場を建てる時に抜いてしまいました。あの遠い日の柿の実の色が、そのまんま記憶の底から甦りました。

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