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金子うどん

リタイヤ生活

朝から用事で出かけていて、夕方家に戻ってみると市役所から納税通知書が送られてきていました。昨年は市民税と健康保険料などで100万円でしたから、恐る恐る封を切りました。
開けてみると・・・何と・・・僅かに1万円でした。

韓国旅行のチケット代を支払ったりして、口座にはほとんどお金がありませんでしたから、多額の請求では資金調達に苦労するところでした。ホッとしたのもつかの間・・・良く良く考えてみると・・・税金を払う必要が無い程の収入しか無かった事になります。

徳島の友人で【遊んで暮らす人生の達人】の言うことを真に受けて、本当に働かなかったのですが、税金を納められないのは・・・寂しいものがありますし、なんとなく・・・情けない・・・かな?  彼が言うには『私のこの1年みたいな生き方の方が立派な人間』らしいのですが・・・理解はできますが納得はできません。
ただし、彼が言う通りにお金を消費はしていませんから、評価は半分と言うところでしょう。

お昼に昔から気になっていた【うどん屋】さんに入ってみました。車がたくさん停まっていて、いかにも隠れ名店の雰囲気が漂う店です。
券売機でチケットを購入するのですが・・・価格は・・・ウッ。少し高い気がします。私のメニューは800円もしたんです。

でも大勢の人が待っていますから・・・期待は高まります・・・がっ中々出てきません。一度に茹で上がる量はせいぜい2人前のようで、出来上がった・・・とっ思っても、運ばれていくのは二人ずつだけでした。イライラ・・・だから妻にはいつも『お父さんは美味しいものに巡り合えない』と言われています。当然美味しいモノは待たなければなりませんが、人生ありとあらゆる事を克服してきましたが、この食べ物屋で待たされる事だけは我慢ができないのです。

30分以上待って【うどん】が出てきました。いま小麦粉を収穫しているのかと、思わず勘違いしそうです。今日は最初の予定通り浮気をしないで、【聖天寿司】にしておけばこんなことはなかったのです。

食べては田舎風のずっしりした食感のうどんで、私の好きなタイプです。どちらかというと照りがあってツルツルしたうどんより、このもっさりとして歯ごたえのあるうどんが好きなのです。

昨年私が退職した会社では、ビルメン会社に掃除をお願いしていました。そこで働いていた金子さんというおばちゃんがいたのですが、この方が月に2回ほどみんなにうどんを打ってくれたのです。そのうどんのような食感でした。思い出すなー!!

このおばちゃんが作るうどんを私たちは『今日は金子うどんの日だ』と言っては楽しみにしていたのです。私の仲間にパンチというのがいますが、特にその男が可愛がられて【ツル坊】と呼ばれていました。(頭には毛があります)

おばちゃんが一人で3・40人前作るのですから、何時間もかかり午前中はうどんにかかりっきりになりました。そこで当番を決めて手伝ったり、送迎用バスの運転手だったМさんも一緒にうどん屋になっていたのです。このМさんとおばちゃんは九州と関東ですから、味付けは全く違っていました。

結果はいつも口論になっていましたが、お互いにおばちゃんにはМさんが、Мさんにはおばちゃんが必要な存在でした。口論してもそれは味についてのみで、うどんができた後は二人ともさっきの口論はどこ吹く風・・・と忘れているようでした。

そのうち本社もその噂を聞きつけ、トップまでが食べに来るほどの人気でした。出張はわざわざうどんの日を確認してから来る人もいたほどです。
さっき登場した頭に毛があるのにツル坊と呼ばれていた男ほどではありませんが、私もかなり可愛がられた方です。いつも菓子折りの空き箱に、家に帰ってすぐに食べられるよう茹でてあるうどんを『奥さんに持って行け』と持たせてくれました。

このおばちゃん・・・息子や孫のような男たちが『美味しい・・・美味しい』と言って食べてくれるのを、見るだけで楽しかったのでしょう。腹いっぱいになってお腹をさすっている私達を見つめる目は、優しい眼差しで微笑みが漂っていました。

なーんにも裏表のないおばちゃんで、みんなも自分のおばあちゃんのように接していたのですが、中には変な人間もいたのです。どうしてそんなに穿った見方をするのだろうと・・・あまりの人間性に唖然としてしまいます。

既に私は移動して他の支社にいましたが、このおばちゃんのうどんが『癒着』だと問題にされたのだそうです。うどんの日はおばちゃんは暗いうちから掃除にかかり、きっちり仕上げて決して手を抜く事は無かったのでした。
誰がどう考えても70才のおばあちゃんが、賂としてうどんを食べさせたとは思えないはずです。本当に我々に美味しいと言ってもらえるだけで十分だったとは・・・思ってあげられない人間もいるのです。世の中には・・・。

寒い真冬の現場作業から戻ると、温かい汁が作ってあり・・・家族のように思ってくれていると私は考えていたのですが、見る人によっては『癒着』なのだそうです。
そういう発言をするへそ曲がりもいるのは仕方ないとして・・・その意見を唯々諾々と受け入れる当時の支社のトップには情けない思いを抱いたものでした。

こんなことが癒着であるなら人間は誰とも接することができません。おばちゃんは頼まれもしないのに、季節季節の折々に野草を採ってきてはトイレに一輪ずつ挿してくれました。
どんなにか気持ちが和んだものでしたし、お客様からも同じ気持ちを沢山寄せられていました。この気配りも癒着に当たりそうですから『花は飾るな』と言うのでしょうか。

会社も何も関係ない・・・そのおばちゃんが家族として・・・我々にしてくれていた年よりの僅かな楽しみを奪う事に、気が付いてほしかった気がします。
あまりにも・・・情が無くて、私のような浪花節の生き方しか選択肢のない年寄には、暮らしにくい背の中になってしまいました。
今日は【うどん】で思い出した古い記憶を綴りました。年寄の世迷言・・・です。

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