私は岩手県に田んぼを所有していますが自分で耕作する事が不可能なので、知り合いに頼んで耕作してもらっています。農業政策について全く理解していませんが、大規模耕作者に有利な制度があるようで、多くの農家から耕作を依頼されて作ってくれる人がいるのです。
田の面積は1反4畝(420坪)の広さが1枚・・・父の遺産で私が頂いたのです。耕作をお願いして3年目になりますが、1反あたり60キロのお米が頂ける約束で毎年30キロの袋詰めが3袋貰えるのです。
このお米の種類が表題の【ひとめぼれ】です。昔はササニシキが主流でしたが、最近岩手ではこの種が圧倒的です。米どころですから当然美味しい米で・・・魚沼産コシヒカリなどとも同等に評価されています。
最近関東では耕作放棄田が多く、さらにはお金を払っても耕作していただけないようで、農地は荒れる一方だとか・・・。
農家をやっている友人の素人氏が言うには『この時代に耕作してもらって、お米までもらえるなんて・・・』とっ、関東ではありえない羨ましい状況だそうです。
段々岩手もそうなるでしょうね。それは覚悟しています。耕作してもらえないと雑草が生えたりして、隣の田んぼの所有者から苦情もあるでしょう。将来は自分でやる事になりそうです。
面倒な選択をした・・・と思われる方もいると思いますが、私はあえて承知で選択したのです。
私の両親は裸一貫から二人で苦労に苦労を重ね・・・大家族の極貧生活は一升の米も借金しなければ買えない暮らしでした。祖父は遊び人でしたから博打・女に明け暮れて何も残せず、残った借金は父と母の生活をより苦しいものにしたのです。
追い打ちをかけるように父は戦地に召集され、更には終戦後3年ものあいだソ連による不条理な抑留生活・・・その間母は一人で牛を飼いながら、少しずつ小銭を貯めて・・・『田んぼがあれば食うに困らないから』と手に入れたものなのです。
兄には両親の思いが伝わるとは思えず・・・父と母の涙と汗が沁みこんだ田んぼは耕作放棄される運命にありました。甥や姪の代になったら、なお更そんな思いは忘れ去られてしまいます。
せめて父と母の苦労と想いを、私の生きている間だけでも『繋いでいきたい』と思って、1枚の田んぼを私の名義にしたのです。父から貰ったものはこの田んぼ一枚だけですが、実は我が家の歴史や父母の思いも私が確り受け継ぎました。そんな気持ちでなかったら、今時・・・田んぼなんて厄介な存在でしょう。
勿論お米は・・・美味しく・・・感謝しながら・・・父と母の思いを身体の中に取り込むつもりで頂いています。娘に送ったり、妻の友人にあげたり・・・・・。
今年も土曜日に貰いに行ってきますが放射能汚染がどうなっているのか、耕作してくれている方に聞くのも失礼で聞けません。
私たちは食べますが・・・友達にあげるのは悩んでいます。
東京電力や御用学者・経産省の役人は、父と母の【歴史・生きざま】まで否定するのでしょうか。
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