飯豊連峰では寝具や食事を提供してくれる山小屋がほとんどありません。僅かに数軒無くは無いのですが、今回私が歩くコースには1軒もありません。
したがって・・・寝具も食事も自分で担ぎ上げなければならなかったのです。
これが飯豊山縦走を難しくしている要件でもあります。たまたま一緒になったツアーは8人の参加者に3人のガイドが付いて、食材は全部ガイドが担いでいました。
甘く考えてツアーに参加する登山者が後を絶たないのが・・・解ります。
私は冬の間に小遣いをチョビチョビ貯めて、夏の旅費にしています。今年は財政がひっ迫していますが、その理由はこれなんです。ダウンのシェラフ(寝袋)を飯豊山行のために、買い求めました。
昨年から靴やシェラフカバーなど買い替えるものが多くて、ついに日本やギリシャと同じ状態に陥りました。この後の山行は妻の【緊急財政出動】の声を聞かないと不可能になりました。若い時から夫婦で財布は一つ・・・へそくりなどは一切ないんです。
梶川峰の付近で・・・物凄い【うんこ臭】がして、私はてっきり熊だと。チシマササのタケノコが食い荒らされて、動物の爪痕もくっきり残されていましたから。
大声を出して通りすぎましたが、あとで梅花皮(かいらぎ)小屋の管理人さんに聞くと『猿のくそは臭いから猿だろう』と。でも念のために大声を出した方が良いよ・・・とアドバイス。
2日目の朝は5時に出発、10時間の山旅に挑みました。遠くに見えた御西(おにし)小屋まで3時間で到着できました。そして目的の大日岳へ・・・途中、未だに残っている雪渓に阻まれて、登山道を歩けずに急峻な岩肌をへつりました。結構ヤバい状態ではありました。
到着してみると飯豊連峰最高峰大日岳は・・・山頂標もないような頂上。朽ちて名前も解らない柱が一本。どこかの朽ちた柱を撮っても【大日岳に行ってきた】と言えるかも。
百名山人気で訪れる登山者は万を超えているでしょう。山頂標ぐらいあってもいいのでは。
それにしても厳しい歩きになりました。残雪の雪渓で登山道が遮断されている個所が20か所。滑落しないように慎重に歩きますが、表面上は本当に危ないのは2か所だけ。でも雪渓ってどこに亀裂が入っているか・・・なんて表面からは見えないんです。
滑ってシュルンド(隙間)に落ちたりしますから、常に慎重でなければなりません。しかし二度ほど危険がありましたが、10時間以上を要して何とか門内小屋にたどり着きました。
写真は御西小屋から2時間歩いて・・・振り返って小屋を写しました。僅か2時間で小屋がポツンと小さく見える程度になりました。人間の速さってすごいと思いませんか。真ん中の白い雲のところに小屋があります。
二度ほど転落の危機に見舞われましたので、明日はその話を・・・それほど厳しい歩きの3日間だったんです。ヘロヘロ。
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