ブログも含め、ごゆっくりお楽しみください。

誕生日と父の日

源流釣り

今日は確か・・・父の日?  私の誕生日とものすごく近い。そのお蔭で父の日と誕生日の二つのプレゼントが届くことも珍しくないのです。

今日も姪からバッグとピアードパパのシュークリームが届きました。私は甘いものに目が無くて、自分ではスイーツ評論家と豪語しています。夕食後のデザートで先ほど頂きました。

娘からは北海道行きのフェリーのチケットです。妻の親友の娘(うちの娘とは兄弟同然)からは寄せ植えの花籠でした。

また話題の中心になれるのは1年後ですが、楽しみに待ってます。

さて今日も大石川西俣の第4回にお付き合いください。もう少しで終わります。
この失態の後、私たちは20年間も無事故で山遊びができました。前にも言いましたが・・・確りと教訓にしたのが、今ある所以です。

《九死に一生》

やりきれない時間が続く。いたたまれない時間が過ぎて行く。私は救助に向かう必要があることを想定し、素人の制止を振り切ってザイル回収に向かった。

“行きはよいよい 帰りはこわい” 
帰りはザイルなしで、一つ一つ支持点を探しながらのフリークライム下降だった。

どんなに危険であろうと二次災害が起きようと、私にはそうしない訳にはいかないリーダーとしての責任のほかにもう一つの理由がある。

それは平成4年の春、佐梨川のゴルジュを下降している際の出来事だった。先に途中のテラス(岩棚)に降りた鉄人に続き私が降りて行くと、足をかけた木が突然折れてしまった。

滑落しだした私に鉄人は、自分も一緒に谷底に落ちる危険を冒し、抱きついて止めてくれたのである。立ち上がって二人でテラスから谷底をのぞいて見ると、十数メートル下、岩盤の上を水がチョロチョロと流れているだけだった。

落ちていれば完全に命はなかった。鉄人の自分を捨てた行動によって、私は今ここにいる事ができた。だから今度は私が全知全能で、彼の安全を確保しなければ・・・。

この枝沢の狭いゴルジュの中では、いっぱいに後ろに下がってもせいぜい5メートル。後ろの壁に背中がすぐついてしまい、途中の潅木帯に視野が遮られてしまう。上の様子は全く知る事ができない。

二人は懸命に声をそろえて呼びかけ、上の状況を知らせてもらおうとした。しかし・・・。

もうこの壁に鉄人がとりついてから30分も経過したろうか。突然「パンパンパパーン」と爆竹の音が谷間に響きわたった。この音は何を意味するのか。

「よし、救助に向かおう。」と私は決断した。この時私は不思議なほど落ち着いていた。「少なくても両手を使える状態である事だけは確かだ。」と踏んだ。

「どこか壁の途中で動けなくなっているのであれば、ザイル一本で救出できる。」と確信した。素人には今後のこと、私に事故があったらとにかく沢を下り、入渓点まで戻るように指示し壁にとりついた。

先程ザイルを張ったルートから2~30メートルも下ると、比較的壁の下のほうまで潅木が生えている場所がある。私は咄嗟にそのルートを選んだ。素人を踏み台にして最初の支持点を得ると、あとは何とか3点を確保できそうである。

岩壁を、また潅木の中を懸命に上った。1秒をあらそうように。この時の私の素早さを、後日素人が笑いながら話す。「あの時の素早さは普段会社でモタモタしている師匠からは考えられない。」と。

途中枝が折れて落下しそうになったり、支持点がなく木から木へと飛び移ったりと・・・。40メートルも上ったろうか。鉄人の声が聞こえだした。

なる程、もう滝の音は大分小さくなっている。また進むともうはっきりと言葉が判った。
「大丈夫だからそれ以上来ないでください。」と鉄人。

「上についたのか?」「林道にでたのか?」

「でました。大丈夫です。」「わかった。じゃ素人さんをつれて戻るから入渓点で会おう。」

続きはまた後程。何とか無事に数十㍍の岩壁を乗り越えられたようですが・・・やどろくはこの後どうなるのでしょう?
写真は後日のモノですが、大石川西俣の遡行シーンの一コマです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました