朝9時に極近い親戚と家族だけが集まって、お棺の中をきれいな花で飾って蓋を閉じました。
折り紙が得意な娘がクジャクや花を折って、一緒に入れました。
妻と娘は手紙も用意してあって、一緒に持たせていました。
そして火葬ですが、これ以降は会うことができなくなるのですから、その寂しさたるや筆舌には尽くせません。
この世に存在しないと・・・これからじわじわと思い知らされるのでしょうね。
一方では母にとっても私たちにとっても、19年という長い闘いから解放された日になりました。
肩の荷を下ろされたのと引き換えに、心を苛む寂しさ・・・たとえ寝たきりでも生きていることのありがたさは・・・経験しないと理解できないと思います。
これで私の親も妻の親も、全員が欠けてしまいました。
どの親が欠けても、もっといろんなことを話してあげればよかった・・・との後悔ばかりです。
良い息子でも良い娘でもなかったのかもしれません。
毎日病院に通っていたのに、通えなくなる虚脱感も・・・私たちの心にどう影響するのか?
これも不安材利用です。特に妻は、母の介護が生きがいでもあったのですから、リバウンドが間違いなくあると思います。
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