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大川小学校訴訟のその後

雑感

東北大震災の津波被害が特にひどかった石巻市の大川小学校。

遺族が起こした訴訟が、地裁についで高裁で再び審理が開始されました。

私の中では大きな問題。どうしてあんなに多くの子供が亡くならなければならなかったのか?

これを詰めていくと、当日学校にいた先生をあたかも責めていると受け取られかねないのですが・・・。

実際、亡くなられた先生の遺族が「息子が悪者になるのは納得できない」という話が出ていました。

お父さん!・・・息子さんは悪くありません・・・確かにもう少し危機感が有っても良かったかもしれませんが・・・。

この問題の本質はそこではありません。

数年で異動を繰り返す先生たちには、できる事は限られていますから。

これほどの大津波が来るとは・・・咄嗟に思いつかないかもしれません。

思いついたとしてもどこへ子供を誘導すればいいのか。

そこが大切な部分で、誰が責任を持って対処すべきだったのかを・・・子供の遺族は問うているのです。

当然、市長であり教育長なのです。

こんな想定をしていざというときの対処方法が定められていたら・・・子供の命は救われたはずです。

釜石を見てください。これが全てです。

如何言い訳しようと・・・市のトップや教育委員会のトップには子供の命の大切さ、危機感が欠如していました。

マニアルがありましたか?  そしてそれを全教員に徹底していましたか?

校長は着任して直ぐにそれを手掛けなかった責任があります。

だから・・・遺族も先生一人一人を責めているのではないのです。

情けないのは村井知事・・・一番ダメな・・・一番本質を解っていない。

会見で先生のために言うべきことは言う・・・って。

問題を矮小化して、先生方の責任に置き換えようと意図しているのでしょうか?

疑いたくなります。

何度も言いますが・・・遺族は先生一人一人の個人的な責任を問題にしているのではない。

組織として防災意識・危機感が欠如していたと言っているのです。そしてその後も事実を隠ぺいし続ける姿勢。

生き残った先生・・・亡くなった同僚や子供たちのために、私たちの意識が足りなかったと勇気を持って発言してほしい。

責任追及は二度と同じ間違いを繰り返さないために有るのです。

あなた方の小さなものではなく、役人組織の体質を変えるためにもっと大きなモノを責めているのです。

裁判所も・・・地裁は津波を予見できたか・・・でした。でも高裁はちょっと違ってきました。

もし予見できたかできなかったかの議論だとしても、トップは予見すべきでした。

福島第一原発と同じ理屈です。予見を放置した結果・・・現在の惨状があるのです。

高裁は予見できたかできなかったかを論点にはしない感じがします。

当然、予見すべき立場の人たちだったのですからね。

地裁の判事よりは少し頭が柔らかそうな感じです。

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