キャンピングカーにトラブルがあって、予定を数日繰り上げて帰ります。
今回は妻が頑張ってくれて、ほぼ予定の旅ができました。
その最後の日は、、、75年前の父に会いにきました。
私にとっての舞鶴という地は、ルーツと言える場所。
父が第二次大戦でロシアに抑留され、謂れなき苦難を強いられながらも力強く生き残って戻った場所なのです。
極寒かつ食料も満足に与えられない境遇を、3年も送らなければならなかった父の無念は如何許りか!
毎日のように父の仕事が済んで、、、食事も済むと、私は父の胡座の中をねだって、苦しかった抑留生活の話を聞いたのでした。
運良く父は祖国の土を踏みましたが、無念にも祖国の地を踏めなかった同胞への思いが迸るのでした。
感受性が異常に鋭い子だったのでしょう、、、私は、父の話にいつも涙するのでした。
旅の最後に舞鶴の引揚者が降り立った岸壁に行きたいと言うと、妻も快く了解してくれて。
70年という歳月を経て75年前の父の思いに添えた気がします。
双葉百合子の「岸壁の母」は、諸兄には馴染み深いと思います。
あえて引揚者とは何なのかを言いません。
辛いけど忘れてはいけない歴史なのです。
高台の記念広場に二人で登り、復元された桟橋を望みます。
桟橋にも向かいます。
桟橋の上で妻が「岩手からも遠く離れたこんな地を、おじいちゃんはどんな気持ちで一歩目を踏み出したのかしら?」と。
それは、、、私も全く同じです。
堪えていた熱いものが、そのことばをきいたとたんにあふれるのでした。
父のことですから、、、なんとしても生き延びて祖国の地を踏むんだと耐え続け、帰れた以上はもう怖いものは何もない。
家族のためにどんなことでもやってやる。
打ちひしがれた父ではなかったと信じています。
今月末には岩手に帰るので、父の墓前で「舞鶴に行って75年前の親父に会ってきたよ」と報告します。
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