大桧原川でそこそこの釣果があったパーティは次に移動する事にしましたが、もうほとんど正午になろうとしていました。往復の歩いた時間の2時間を引くと3時間ほど釣り遡ったようです。
帰路は花や森を楽しみながらのハイキングとなりました。何せ森林インストラクターと森の再生をライフワークとしている【森の女紙さま】が同道しています。
さながら森の観察会ですよ。こんな機会に私の森の知識はまたまた蓄積されて行きます。
根子川に移動しましたが水量は寂しいもので、とても魚に活性があるとは思えません。一応大朝日岳の登山口の日暮沢小屋付近まで林道を入ってみました。雨で林道が崩れてしまう事も考え、ほんの少しの時間しか竿を入れませんでした。
魚は居ました・・・が全く食い気はなく、鼻先を流してもビクッとも反応しません。
諦めて確実に釣果の期待できる沢に移動しました。雨の不安がついて廻る一日でした。若いときはむしろ喜んだんですけどね。
その幻の沢は川を釣り遡る釣り人も道路を走る車からも、全く所在を知られる事はありません。そんな小沢ですがイワナは大きいのが棲んでいます。
今回、この時間まで釣果の無い釣り人が居ましたので、みんなでプレッシャーをかけにいったんです。
『あのポイントには絶対いるよ』『あそこで釣れなきゃ釣りをやめたほうがいい』『今日は何時もより釣りが荒い』・・・みんな言いたい放題で、ますますプレッシャーを感じながらやっと釣り上げることが出来ました。
この沢がどうして幻なの?
一つは本流からも道路からも解らない事
もう一つは十数年前になりますが魚止め滝の釜(滝つぼ)で、わが会の会長が尺上(30㌢を超える大きさ)を釣り上げました。驚くことにその途端に雷鳴が鳴り響き、大粒の雨が降り注ぎ始めたのです。昔から釣り師の間では滝つぼの主(ぬし)を釣り上げてはいけない、たたりがある・・・と言い伝えられています。
まさしくそのぬしを釣り上げてしまったようです。二人はその禁を犯してしまったのです。この後二人はゴルジュ(岩壁に囲まれた狭い谷)の中を、濁流となって襲ってくる流れと戦いながら下りました。茶色に濁った流れの何処に足を点いたらいいのか、咄嗟に判断しながら必死の思いで下りました。
あっという間に水位は膝上で、足をさらわれてしまっていたらおそらく生きていなかったでしょう。それほどに源流の釣りとは命がけなのです。そんな自然の脅威から自分を守るのは【知識】と【経験】と【畏敬の念】だけなのです。
どうして私がこの沢を幻の沢と呼ぶのか・・・その答えはこんな逸話のせいなのです。
写真は大桧原源流に続く【ナタメ】です。職猟師や山菜採りなどが森の中に残した道しるべです。ナタでスパッと切り落とします。私達もこれに導かれて源流に向います。
こちらは幻の沢を釣る美人釣り師の女神様です。背中にはかつてのわが会の看板を背負っています。ここまで釣果の無かった釣り師は、彼女ではありません。
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