炎の激走・・・赤石岳・聖岳 Ⅱ 大沢岳(2,819㍍)・中盛丸山(2,812㍍)・兎岳(2,818㍍)
平田影郎
夕べは数か所からイビキが聞こえていた。こんな日は私も安心して眠ることができる。お陰で朝は目覚めが爽快。浅井さんは既に寝床に居なかった。
4時に起きた私は自炊場に移動してお湯を沸かしていた。夕べ一緒だった福岡大の学生や茶臼まで縦走する若者らと別れの挨拶をする。
パッキングが終わると4時30分、それでも確り明るくなるまで庭のテーブルのところで待っていた。4時50分、いよいよ大勝負の火ぶたが切って落とされた。40分ほどで稜線の分岐に到着、ちょうど浅井さんに追いつくことができた。私は日本百高山の大沢岳に向かう。ここに登らなかったら今回の縦走の意味は半減してしまう。どんな事があっても・・・縦走コースから外れていてちょっと気持ちがなえたとしても・・・大沢岳は外せない。浅井さんは昨日登っているので、縦走路に向かった。
ザックを分岐に置いて水だけを持って大沢岳に向かう。大沢岳までは空身では僅か15分ほどで行くことができる。5分ほど山座同定をして再び分岐を目指す。これで本日のノルマの一つが終了する。縦走路では朝日に映し出された私の影が斜面にあった。
これがガスに映っていたのなら・・・初めてのブロッケン現象だったのだが。万歳をして遊んでみた。
分岐から中盛丸山まではこれも僅か15分ほどでクリアできる。これで本日のノルマ2つが終了する。そして折角稼いだ高度を少し吐き出すように下ってから、再び20分ほど登って小兎岳だ。これが本日の3つ目のノルマ。
コル(山と山の間の低くなった鞍部)に降り立つと圧倒的に覆いかぶさる峰々も、実際に自分の足で登ってみると30分や1時間でクリアすることができる。人間の足とは実に素晴らしい力を発揮するものだ。下の左の写真のように小兎から大きく下って兎に登り返すこの工程が、僅かに45分しか要しない事に驚いてしまう。小兎までもご夫婦と一緒だったが、兎岳には私が先に向かった。
兎の登りの途中で振り返ると・・・それに気が付いた奥さんがコルから私に向かって手を振ってくれていた。嬉しくなって・・・思わず私も手を振って応えた。完全に仲間意識が醸成されているが・・・山ではこの連帯意識も嬉しい。
兎岳で私は大きく休憩する事にした。4つ目のノルマが終了したこともあるし、最後のノルマは半端な覚悟では臨めないと知っていたからだ。お腹を満たしエネルギーを補給していると、ご夫婦が到着した。奥さんが『折角知り合って一緒に行動しているのだから、一緒に写真を撮らせて』と言うので、私のカメラでも撮っていただく。
最後のノルマに挑む。勿体ないほど下って行く。今まで稼いだ高度はほとんど吐き出した。小さなピークを回り込むと・・・信じられない事に更に高度を吐き出して下って行く。この下りだけで1時間も使ったかもしれない。この登りは結構な斜度と滑落しそうな岩場も含んでいて、慎重な対応が求められる登りだ。
話は前後するが登り始める前の鞍部は、痩せて今にも崩れそうな切り立った絶壁だ。踏み外したら一気に数百㍍も滑落して岩床に叩き付けられる。一見して『危険』を感じさせないルートではあるが、そんなところに落とし穴がある。つまづきやよそ見は厳禁だ。
慎重に・・・慎重に・・・本当に慎重に歩を運んだ。
兎岳から鞍部に降りた時・・・ふと振り返ると・・・タカネビランジが岩肌一面に張り付いていて、自然が作り出す芸術作品を堪能する事ができた。兎岳頂上にも数株咲いていたので『どこかにもあるかもしれない』と思っていた。
兎岳の避難小屋は今年改修されたと聞いたが、通りすがりに見た感じでは【基礎と屋根が確りあった】程度しか確認できなかった。
兎岳から約2時間、登り始めて1時間半ほどだろうか。辛い登りの果てにとうとう聖の山頂に立った。相変わらず強風が吹きすさぶ。
私の百名山挑戦人生の【84座目】をついに踏破した。挑み始めて13年目・・・本州最難関と言っていい【聖岳】はこうして落城した。
決して聖岳が悪いわけではないが・・・南アルプスの南部はアクセスが悪くここまで挑む事ができなかった。思い起こせば・・・何と長い年月が経過した事か・・・感慨は一入である。富士山まで確り望める天候の日に登れて、本当にラッキーであった。
山頂でみんなを待ちながら食事をする。フルーツゼリーやウィーダー・イン・ゼリーなど喉を通りやすいものだけを摂る。山頂にある石垣で風を凌ぐ。
そうこうしているうちに浅井さんが登ってきて、さらに遅れてご夫婦が登ってきた。私はちょうど1時間山頂からのロケーションを楽しんだ。
さあ・・・聖平までは2時間の下り・・・本日最後のノルマだ。気合を入れてザレた斜面を下って行った。富士山の下りを彷彿させる斜度と崩れやすい足元。この小1時間の下りも、ここまでのダメージが蓄積された後では相当辛いものであった。
小聖岳を過ぎてお花畑が展開しだすと、聖平の小屋の赤い屋根が見えてくる。辛い本日の工程を歩き切った事に・・・どんなにホッとした事か。でも実際にはここから1時間近くの時間がかかることを知ってはいない。
明日のルート【広河内岳から茶臼岳】は雲に覆われて、今にも泣きだしそうな空模様の中にあった。『明日はきっとダメだろうな~』そんな思いが心の中を支配していた。でもこれは当初から想像していた通りの状況に過ぎない。そうなったら潔く山行を中止しようと決めて今回臨んでいたから、聖岳を登頂した事で十分満足していた。
この後小屋でみんなが集まった時、明日の行程の話になったが、浅井さんもご夫婦もここで下山すると決めていた。私も未練はない・・・下山だ。
小屋で宿泊の受け付けの際に私は【井川観光協会】の無料送迎バスを申し込んで置いた。明朝10時に聖沢登山口に向かう。
聖平小屋の名物は【フルーツポンチの食べ放題サービス】。私もお替りしていただいた。疲れて食べ物が喉を通らない時に、このフルーツポンチは胃にも心にも優しい。
百間洞で知り合った若者・・・今日は茶臼まで縦走していたはずだったが、何とこの小屋で受付をしていた。私が割り当てられたスペースはこの小屋の冬季小屋。今日も一人かな~~と思っていたら遅くなってから、一人の若者がやってきた。
本館は数十人が入っているのに、冬季小屋は僅かに2人。何とありがたい事か。
この冬季小屋・・・今シーズンはまだあまり使っていないらしく、綿埃やら虫の死骸やら・・・とても食事などできる状況ではなかった。神経質な私は思わず自分で掃除をしてしまった。
夕食前、浅井さんとご夫婦と踏破記念の【乾杯】をした。いつもの山談義・・・これが何とも楽しく、大いに盛り上がった。
浅井さんは10時の送迎バスに間に合うか不安を抱いていて、4時半ごろには出発して行った。私は確実に明るくなるまで小屋の前で待っていた。
このルートは何度か沢を横断するが、橋が流された箇所があってルートが付け替えられていた。何か所か吊り橋もある。この橋が意外に揺れて・・・面白い。コースとしては踏み外すとヤバい個所は3・4か所。
意外にタフなコースでコースタイムを大幅に短縮する事はできず、3時間40分を要して登山口に到着。
10時のバスまで1時間以上待つ事になり、沢に入って全身を洗った。そしてTシャツを着替えると気分は爽快。浅井さんも下山して来て二人でバスを待っていた。結局利用者は4人だけ・・・後続の予約者が来ないのか、バスは中々発車してくれなかった。
浅井さんに静岡市営の【白樺荘】に連れて行っていただいた。この施設の従業員から調理長まで、全員が浅井さんに一目を置いていて・・・相当の常連客だと想像に難くない。案内・・・とは場所を教えてもらう程度と思っていた私は、度肝を抜かれてしまった。
俗に言う【顔】状態でした・・・御見逸れしました。
帰路も静岡市まで案内していただいて・・・とても一人では葵区の山道を走って新静岡インターまで行く事はできなかったと思う。
しかもいろんな山の登山口や観光施設などを、雨の落ちている中でわざわざ車から降りて説明してくださるご親切には・・・何とお礼申し上げてよいやら・・・感謝です。
今回で畑薙ダムへのコースから解放されると思っていたが、とうとう一座残してしまった。最悪のパターンに少し気落ちしている。
でも黒部五郎の時のように一座だけのために計画する山行も、他のファクターをプラスすればそれはそれで意味深いものになる可能性がある。残りの【光岳】のための山行も是非そうしたい。茶臼岳や広河内岳を絡めた縦走にすれば、タフでハードなコースに仕上がって十分楽しめる山行になるだろう。それは来年なのかな~~?
今はまだ見通しもないが、そう遠くない将来に実現させたいと思っている。ちなみに茶臼小屋の名物は【マグロの刺身】である。
百間洞のトンカツ、聖平のフルーツポンチ、それらを食べ歩く山旅が今から楽しみだ。