上杉神社と牛肉弁当ど真ん中《山形・米沢》
2011/02
前夜からの大雪で埼玉は無論の事、東北も大雪との情報。新幹線は走ってくれるのだろうか?と不安がいっぱい。
指定席のチケットを買ってあるので、とりあえずは大宮まで行ってみる。丁度新幹線が走り始めたところだった。
指定席をキャンセルして動き始めた最初の新幹線に飛び乗る。どうしてもやらなければならない仕事があった。
福島駅までは余裕の進行。その先が不安だったがなんとか行ってくれるようだ。胸をなでおろしたのは早計だった。
山形に入ると線路の両脇は斜面になっていて、両脇に迫りくる雪は今にも崩れ落ちそうに盛り上がっている。
電車の振動で雪が崩落しはしまいか? 山間部を抜け出るまでは、本当に息をつくのを忘れるほどの緊張。
平野部でさえ写真の状態だから、山間部を切り開いた線路脇では想像を絶した状態。
それでも米沢駅に到着するころには青空が覗く天候になっていた。タクシーを待つが来てくれない。
車道は除雪されていたが逆に歩道は歩いた人の足跡もなく、ツボ足で市役所まで歩く。
50年ぶりぐらいの体験だ。子供のころはこうして学校に通ったものだ。長靴に雪が入らないように、荒縄で膝の少し下を縛って。
用事を済ませ昼近く、市役所にちょうどやってきたタクシーを拾う。上杉神社を参拝しよう・・・運転手さんにお願いした。
神社の境内も御覧の通りの雪。それでも親切に入れる所まで入ってくれた。
上杉神社には数年前に、西吾妻山登山の時に前を通りかかったが、参拝できていなかった。
そもそも上杉神社は、景勝の代の1601年に上杉家が米沢に転封された際、謙信の祠堂として祭られたのが始まり。その後紆余曲折があり、中興の祖である上杉鷹山も合祀される。
明治の廃仏毀釈ではそれまで交替で祭祀を司った11カ寺の僧侶が、神官となって創建された上杉神社を守ってきた。
明治35年、上杉鷹山は松岬神社に分祀され、謙信のみを祭る神社となる。
現在の場所は松岬公園、すなわち米沢城址公園内である。大正8年の大火で焼失して、新しく建てられた本殿以下の社が鎮座している。
帰りの時間帯は天候もすっかり回復。雪が緩んで雪崩も心配されたが、心配の山間部を新幹線は無事に通り過ぎほっとする。
米澤と言ったら牛肉弁当どまん中を食べないと。お昼はお蕎麦屋さんて暖かい蕎麦を食べてしまったので、持ち帰りたい。
駅前の広場の反対側に新杵屋の店舗がある。お客が頼んでから暖かいのを作ってくれる。
そもそも駅弁ではあるのに、駅売りを買わないで店舗に寄るのはそこに意味がある。
山形新幹線が開通と同時に、期待を込めて発売された弁当は人気を博して上々の売れ行き。
テレビのグルメ番組などにも何度か取り上げられている。現在は1.200円?程度と思う。
余談だが…牧場をやっていた我が家は、本来牛肉を食さない。
がっ、妻が食べてみたいというので、信念を曲げて食べる。しぶしぶ食べた割には・・・美味しい!
これも余談だが《前田慶次》という武将を、この弁当を買ったことで初めて知った。
米沢は米沢7湯と言われる温泉の宝庫。しかし枡形屋をはじめ、雪の時季はクローズになる。
秘湯の雰囲気もない街中のつまらない宿に泊まっても仕方ないので、弁当をぶら下げて埼玉に戻る。