泥田の中を延々と・・・越後駒ケ岳
平田影郎
自分からは中々言い出せないでいた・・・が、妻の『雪が降る前に行ってきて』という言葉に背中を押され出かけようという気になった。今年になっての山行はダウンの連続で、しかも久しぶりとあっては・・・正直・・・脚力に自信は無い。近場のアプローチの楽な山はほとんど登頂済みだし、また危険の少ない山も遅い時季まで残しておきたい。となると日帰りではきつい山がほとんどである。百名山を始めたころは行き先の選択が楽だと思っていたが、事実は全く反対だ。毎回、朝出発するまで迷っている。雨となればなおさら難しい。
大きく分けて上越方面の山か信越方面の山にしぼって、早朝2時にとりあえず出発した。そして行き先の決定は藤岡ジャンクションの分岐まで・・・ゼブラゾーンまでもつれ込んだ。
脚力の不安から一旦は『瑞牆』にしようとハンドルを左に切ったが、『厳しい山も少しはやっておかないと・・』と思い直し、ハンドルを右に切りなおした。
枝折峠は5時になっていた。既に車は満杯だ。仕方なしに路肩に停めたが、何となく気になって奥のトイレのほうまで見に行くと・・・空いている。何と奥に2台分のスペースが空いていた。当然空いていないものと早とちりの人が多かったようだ。
朝食を取らずに出発する。最近どうも胃が受け付けてくれない。先生の病が伝染したのかもしれない。あれもこれも不安だらけで必然的にペースは遅くなる。ところがコースタイム1時間となっている明神峠まで30分、さらにペースを落として数人に追い越されながらも、コースタイム3時間の小倉山が2時間で到着してしまった。
ここのタイムは確実に変だ。穿った見方をすれば宿泊の山行しか出来ないと思い込ませるための、誰かの策略ではあるまいか。誰かの・・・って誰の? 決まっている、宿泊者が増えてメリットがあるのは・・・小屋の親父だ。
さしたるアップダウンも無く百草の池に到着し、ここからは急登が立ちはだかるが小屋までは全く問題が無かった。
一転、小屋のベンチで15分ほど取った食事休憩の後の山頂への登りは、喘ぎ喘ぎのカメ足になってしまった。足が重い・・心臓がバクバク・・久しぶり山行のダメージは僅か15分ほどの登りも満足に進めない。
ガスが覆う山頂からは楽しみにしていた八海山も見ることができなかった。
帰路、百草の池から枝折峠までの泥田のような登山道では、何度も転倒しそうになりながら下山だ。雨足は雨具を出した方がいいのか要らないのか、迷う程度の強さが災いしての濡れねずみ。雨に打たれ・・泥田に足をとられ・・転倒し・・アップダウンを繰り返す長い長い尾根道。とうとう小倉山辺りで1回目のダウンを奪われてしまった。少し長めの休憩を取った。ここから枝折峠までは重い足を10分引きずると5分休むという状態。往路で変だと思ったコースタイムは、やはり正しかったようだ。
今回の山行でなにより辛かったのは、家に戻ってからの泥に塗れた装備の泥を洗い流す作業であった。雨具、スパッツ、靴、ザック、衣類を一つ一つ外の水道で洗わないと、家の中に持ち込める状態ではない。作業は日付が変わるまで続いた。
しかし翌日明るくなってから見てみると、泥は斑模様に張り付いたままであった。