3日で3座のいそぎ働き(2)・・・白山
平田影郎
夕焼けに染まる別山を写真に収めたりしてもなかなか時間を潰せない。しかしこの時季、登山者の車が一台も来ないとは・・・
信じられない。暗闇が辺りを包むと寂しさは増すばかりで、早々に眠りに着いた。一眠りの後、一条のヘッドライトが私の車窓を
照らした。時計を見ると11時である。やっと一台車がやって来たようだ。
4時にセットしたアラームより先に目が覚め準備をしていると、若者が話しかけてきた。夕べ遅くなってやってきたのはボーダーらしく、『どの谷を滑ったらいいのか』と私に聞かれてもさっぱりわからない。それよりなによりボーダーが滑って下りてこられる状
態なのだろうか。ひょっとして登山者がいないのはそのせいなの?
白山の6月初旬を全く理解していなかった。アイゼンもピッケルも無いことが、この時はそんなに恐ろしいこととは思っていなかった。
別当覗きを過ぎると夏道は完全に消え、厚く残った雪渓の上に僅かなトレースが刻まれているだけである。ほとんど赤布を頼って進むしか手がないほどである。それだけに赤布の間隔が離れすぎている場所ではコースアウトをしそうで怖い。帰りまでガスや霧が出ないようにと・・真剣に神様にお願いした。
甚之助小屋からの登りは斜面に切られたトレースをたどる。ぐずぐずに腐った雪が本当に足の裏を支えてくれるのか保証はない。
十二曲がりでのほぼ垂直な雪渓の上り下りはそこそこ本気にさせられた。腐った雪が崩れたら・・・垂直の壁を滑落しだしたら止めるすべは無い。一気に甚之助谷の藻屑となるのは必至である。この雪ではアイゼンは役に立たないかもしれないが、最低限ピッケルは必要であった。ストックだけしかない身が辛い。全くの調査不足だったと反省した。いつ崩落が起きても不思議では無いように、谷の途中では雪渓がパックリと口をあけて地面が覗いている。しかし戻るに戻れない状態ではとりあえず上を目指すしかない。室堂で誰かに聞けば帰りは安全なルートが判るかも知れない。(甘い・・結局このルートを下った。)
上りより下りは更に緊張させられた。それにしても余り怖がらずに平気で登っている人が何人もいたが・・・本当に心配要らない状態で、私が心配しすぎだったのだろうか。
苦労の末の山頂はガスが巻き展望は全く利かないし、おまけに山頂にいるのは自分だけで証拠の写真すら撮ることができない。
10分ほど待ったが結局誰も現れず諦めて下山した。
室堂で高校生の引率をしていた先生に一番安全なルートを聞くと、やはり甚之助谷という。慎重に下るしか手は無いと覚悟を決めた。重装備の二人の若者が下山すると言うので、同行すれば心強いと思い期待をしたが、残念な事に大白川への下山であった。一緒のコースなら滑落しても遺体のあり場所ぐらいは家族に知らせてもらえると思ったのに、これには本当にがっかりさせられた。
ビジターセンターで確り食事を取り、後は一気に下った。無事に別当出会いに戻れたのは、ただ単に運が良かっただけ・・・と自覚した。
やはり土曜日だけに次から次に登山者がやってくる。ほとんどの人が泊まりのようで、日帰りと言う人は少ないようだ。
花の百名山もさすがにこの時季はむしろ冬に近く、期待した花園は無理であった。甚之助小屋より下で何種かの花が確認できたが、花の百名山白山の片鱗すら見ることは出来なかった。百名山完登後、花の時期にまた来よう。
永井旅館で風呂に入る。秘湯を守る会ではあるがそれ程の泉質ではないし、対応も気取りは無い。ベルで呼んでも誰も出てこない。やっと現れた奥さんがトイレに入っていたのに呼ばれたので途中で出てきたと言う。途中だったのでお腹が痛い・・・って俺に言われても。高校の山岳部の大会だったようで、引率の先生が沢山入浴していた。
勝山から大野とドライブ。途中でお城が目に付いたので大野城に向かう。駐車場も無い城であったが親切なおばあさんが敷地に駐車させてくれた。旅の空ではこの親切が身に沁みる。汗をかきかき戻ると冷たい井戸水を飲ませてくれ、おまけに10㍑の容器に水を入れて持たせてくれた。御礼の手紙の一つも書くべきであったが・・・。
勝原スキー場の駐車場では多くの人が集い楽しい夜が更けてゆく。そのせいで二日酔い。