花の飯豊を大縦走・・・飯豊山【大日岳】Ⅱ
平田影郎
【2日目】
さあ、いよいよ長丁場・・・コースタイム上は14時間。私が過去に挑んだ【剱岳早月尾根の日帰り】【白馬三山日帰り縦走】【扇沢から鹿島鑓に登って赤岩尾根下山】これらに匹敵する行程と思う。
問題はコースタイム上4時間となっている【梅花皮小屋~御西小屋】の間をどれだけ縮める事ができるか・・・にかかっていた。
しかし、ハイペースで飛ばし過ぎて後半のスタミナ切れも起こすわけにはいかない。やはり心は焦るが自分の実力に見合った歩きを心掛けなければならない。
朝食は重さを軽減させるために選択した・・・味気ないパン・・・と僅かに嬉しい卵スープ。4時に全員が一斉に動き始めた。私もあわててコンロに火を点けた。荷物を預けて行ける分だけ心は穏やかだ。
それでも・・・雨具とメガネ・地図・ライトなどの必需品、そしてまたしても味気ない昼食用のパン、僅かに心にゆとりを持たせてくれるバナナとエネルギー補給のジェル、さらにもっとも大切な水を2㍑・・・これだけを詰め込んだザックは8キロほどになる。
水場で思いっきり水を口に含み冷たい水で顔を洗うと一気に気力がみなぎっていくのが判る。しかし『気力の空回りは防がなければ』と自重する。水をザックに押し込み5時に出発した。
すでに4時半前に出発した人もいる。私が水場にいる時、その方が梅花皮岳の頂上近くを歩いているのが見えた。そんなに時間を要さずに、まず一つの頂をやっつけた。
烏帽子岳を目指して下っていくと、同宿だった先行者が食事をしていた。挨拶して追い越すが、なぜか返事をしてくれない。
山のルールでもある挨拶が面倒になったら私は山を辞める。
次の烏帽子岳は手強いはずだが、なぜか手ごたえがなかった。あっという間に到着してしまった。1時間10分のコースタイムが40分でクリアできた。この分だと御西小屋小屋までの3時間も、大分つめられるかもしれないと希望が膨らんだ。
でも目をやるとそんな希望も霧散してしまうほど、御西小屋が遠くに見える。
お手洗いの池で私もバナナやエネルギージェルでスタミナを補給した。
先程から大日岳山頂はガスに巻かれている。元々昨日から私は迷っていた。『飯豊本山の方がいいのかな?』って。
そしてこの時までもまだ迷いがあったのは事実だ。しかし大日岳を今回逃したら再び挑むチャンスはなかなか訪れないだろう。
逆に飯豊本山なら日帰りでも挑めそうな感じで、次のチャンスも期待できる。ガスっていても大日岳にしよう・・・ようやく心は決まった。
天狗の庭には池塘が点在しお花畑はニッコウキスゲで埋め尽くされている。今回の飯豊連峰縦走はこんなロケーションが続く。
大きな雪渓を歩きながら小さなピークをまいて行くと目の前に御西小屋が現れた。あと30分も要しない感じだ。
時間を見ると烏帽子岳から1時間半ほどでここまで来た。これにあと30分をプラスしてもコースタイムは1時間以上短縮している。
御西小屋でたっぷり休憩を入れた。そして朝食の残りのパンを無理にも押し込み、エネルギーも満たされた。
ここにザックをデポさせてもらって、僅かに500mlのペットボトル1本とストックだけを持って大日岳を目指す。
それほどきつくはないと聞いていたから余裕はあった。いよいよピークへの登りにかかると流石に飯豊連峰の最高峰は手強い。
30分ほどはカメ足状態で喘ぎながらの前進。そして一か所だけ残雪が登山道を潰していて、その雪渓の上をトラバースする。
これがそこそこやばい状態だったが、慎重に行けば心配はない。
この雪渓をまいて一分も登ると山頂が見えた。当然まだまだ空いている飯豊連峰・・・しかもどちらかというと飯豊本山を目指す人が多いのか、大日岳には誰もいない。寂しい山頂である。
それを反映するように【山頂標】もない山頂。僅かに朽ちた丸太が1本建ってはいるが、書いてある文字は読めそうに無い。
まあ・・・証拠写真にするだけなので、本人が登ったと自覚すれば済む話ではある。
この時・・・反対に烏帽子や梅花皮の山頂がガスに巻かれていた。少しあわてて下山を開始する。
何故かというと・・・20か所も雪渓が残るルートを再び通らなければならず、ガスによるコースアウトが懸念されたからだ。
一方の目標だった飯豊本山はというと御覧の通りの眺望で、全く天候に不安はない。今日は多くの登山者が登ってくるに違いないと思った。
それでも今晩私が泊まろうとしている門内小屋まで到着できる登山者はいないはずで、今夜も空いている小屋でゆっくり眠れるという確信はあった。
御西小屋まで戻るとザックを再び担いで出発。再びお昼用のパンをお腹に入れる。このパンが実に味気なくて・・・荷物を軽くする事にこだわってパンだけにした選択は見事に失敗だった。
次回は・・・軽さも大切だがそれ以上に心を満たす食事にしたい。
御西小屋をあとにする。天狗だけ付近は雪渓の連続で、緊張感は欠かせない。滑落したら数百㍍という雪渓も2か所ほどあった。
しかし実のところ折れたり崩れたりするのは夏の雪渓ではよくあること、目に見えている【危険】だけが『危険』ではないのが怖い。
御西小屋から2時間ほど・・・烏帽子岳への登りで振り返ると小屋が本当に小さくなっていた。人間が2時間歩くというのは、実に偉大な結果として残るものだ。
烏帽子岳への登りで脚力はほとんど消耗しきっていた。休み休み・・・喘ぎながら登る。梅花皮小屋にテント泊しているグループが、飯豊本山を往復して戻ってきた。
私より朝1時間ほど遅く出発したはずだが、ここで抜かれてしまった。
門内小屋まではまだまだ先か長く、焦らずに行くことにした。梅花皮小屋まで14時に戻ればいいので、心の中では全く焦りはない。しかし、足は動いてくれない。
膝の支持力はかなり弱ってきたと自覚したころ、小屋への下りに入った。途中で若者とすれ違うが・・・登りの優先権のある若者が立ち止まって待ってくれていたので、下りの私は少し焦った。
そして注意力が僅かに散漫になった時・・・左足は大きく前に放り投げられた。丸い石を踏みつけた左足が気持ちとは裏腹に、勝手に前に走ったのだ。
当然左側から体勢が大きく傾いた。この時・・・右膝にまだ支持力が残っていれば踏みこたえられたはずであるが、右足にも左足をカバーするだけの余力は残っていなかった。
倒れながら左手でストックを支えに利用しようとしたが、急角度になっていた左斜面はストックをしっかり受け止めてくれはしなかった。
ゆっくりスローモーションの様に私は左側の斜面に投げ出された。とっさに柔道の受け身を取ったと思うし、さらにはラグビーでタックルを受けた際に頭を守る姿勢も本能的に取っていたと思う。
そして背中のザックから先に地面に落ちたと思われ、私の体には全くダメージはなかった。
3㍍も放り出され、さらには5㍍も斜面を滑落した。若者があわてて駆け寄ってくるのが見えた。
立ち上がって確認すると・・・全く痛いところがなく、むしろ恥ずかしさでいたたまれないほどというのは、何とラッキーなことだろう。
山行中、一刻も途切れる事が無い集中力・・・さらにはどこまで歩いても確実に支えてくれる脚力。今回はこれが僅か足りなかったかもしれない。左側がお花畑でなく切り立った崖だったら、今ここにはいない。
ほぼ予定の時間で梅花皮小屋に戻り付いた。美味しい水を腹いっぱいに飲んだほかに、今夜門内小屋で使う分や明日下山で使う水もペットボトルに汲んだ。
預けておいた荷物を取って管理人さんに挨拶すると、今朝まで管理していた関さんは既に交替して下山していた。
パッキングに20分ほどかけて大きく休憩を取る。そして再び膝の支持力を確認してからザックを背負った。シェラフなどが増えたザックはずっしりと肩に食い込んだ。
昨日から山談義に興じたテントで泊まっている皆さんに挨拶をして、梅花皮小屋を後にする。
それにしても北股岳への登りが辛い。それでも30分もかからずに山頂に立ち、あとは門内小屋までゆっくりと歩を運ぶ。
門内小屋に着くと高桑さんが覚えていてくれて『来るのは明日かと思っていた』。
この後、朝日連峰の鳥原小屋の管理人さんなどと2時間も飲みながらの山談議。北海道のヒグマの話などで大いに盛り上がった。
この日門内小屋は10人以上のツアー客が入っていて、鳥原小屋の管理人さんはアルバイトでそのガイドをしていたようだ。
門内小屋の2階はそのツアーが占有し1回は私を含めた単独行の男性が4人・・・予想通りゆったりとした夜が過ごせた。
【3日目】
朝早くから一人のお年寄りがうるさくて・・・そうこうしている内に雪渓を間違えた人も起きだした。私も起きてコンロに火を点けた。表にでて観ると雲海が展開していて荘厳な雰囲気が漂っていた。そして御来光・・・である。
いつもいつも手を合わせてお願いする内容は決まっている。
今朝の食事はラーメン。普通なら朝からラーメンなんかどうかと思うが、荷物の軽量化を考えると致し方のない事ではある。
高度が上がると沸点が変わり、ゆでる時間をしっかり考えないと芯が残ったものを食べる事になる。夕べのレトルトパスタがそうだった。
山で下痢なんかしたら力が出ずに遭難も心配される状態だ。
食事を終えると残っていてもやることもない。パッキングをし直し、高桑さんに挨拶をして下山を開始した。
振り返ると門内小屋が呼び止めているような・・・私の中にまだまだこの峰々の雄大さに浸っていたいと言う気持ちが強かったのかもしれない。
扇の地神から下山路に目をやると・・・丸森尾根は延々と続いていた。
扇の地神では一旦10㍍ほど移動して山頂に立つと縦走路を辿ることができる。しかし梶川尾根からの分岐に立っている道標で丸森尾根に行こうとすると道を間違えてしまう。
実際良く見ると『通ってはいけない』とロープが張られていたのに、地面に落ちていたために見落としてしまった。
ここで20分ほどロスしたが・・・こんな時にはあわてずに・・・戻るに限る。縦走路に戻って地神の北峰を目指した。
地神の北峰からは大きく下るが、それでも夫婦清水まではまだ余裕で耐えられる。夫婦清水までタイムを大分短縮した。途中尾根の向こうに頼母木小屋を見つけたとき・・・なぜか親しみを感じた。
この先・・・?差岳(えぶりさしだけ)や大熊小屋、大石川西俣・・・。
我が【宿六の会】がかつて駆け巡ったフィールドがある。遠い昔の一コマはセピア色に変色してもなお脳裏には鮮烈に焼き付いていた。
膝の支持力は限界だった。これ以上はたとえ100㍍と言えど耐えられる自信は無かった。飯豊山荘の屋根が見えてからの30分は地獄の下りを体感した。短いスパンだったことが唯一の救いだった。
それにしても・・・雄大な峰々に抱かれた3日間。もう言葉にできないほどの感動に・・・今も震えている。
私の山人生の中でナンバーワンだと思っている。
この雄大さ・・・懐の広さ・・・山の評価は決して高度ばかりでは無いと・・・いつも思う。