ありがたきかな・・・岩手山(薬師岳)
平田影郎
岩手山には我が母校の校運隆盛を祈願し、昭和2年に建立された石碑がある。
重機も無かった時代に多くの先輩諸兄が、切り出した石にロープをかけ数百㍍も引き上げ、岩手山神社奥宮の一角に立てたものである。
毎年この石碑に参拝する学校登山が行われていたが、在学中私はいっぺも参加した事が無く後悔の念を抱き続けていた。
この年になって登山に興味を持ちだし、さらにその念は加速されていたが、やっとチャンスは巡り来た。
妻を玉川に迎えに行く途中で登頂するというプランができあがった。仕事が終了したあと東北道久喜インターから西根ICまで一気に駆け抜け、12時前には焼走り登山口の駐車場に着いた。
そして何時も通り500ミリリットルの缶入り睡眠薬を流し込み、あっという間に眠りに落ちた。
翌朝5時に目覚めたが以外に準備に手間取り、出発は5時45分になってしまった。溶岩流を左手にしながら登山道はダラダラと登って行く。1時間半で第一噴火口に着いた。
溶岩流を俯瞰しながら休んでいると、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。駆けつけると登山口から前後して登っていたパーティの女性であった。
そばには私の天敵“まむし”君がとぐろを巻いて首をもたげていた。
“ああ 私でなくてよかった”と思った。大の男が「キャー」じゃ格好がつかない。
だが「山に来たらヘビぐらいいると思わなくちゃ」なんて能書きを言ってしまう自分が、ほとほと・・・好きだ。
さらに40分登ってツルハシに着く。道端に“ぎんりょうそう”が沢山咲いて(?)いた。厚いガスが流れていて眺望は無い。丁度雲の真っ只中だったかもしれない。
ここから樹林の中の道は斜度を増しかなりきつい登りとなった。例のパーティはまったく私と同じペースで登っている。
樹林帯が切れ砂礫の道になると斜面を覆い尽くすコマクサ。山全体がピンク色に染まっている。
これほどの群生は初めてである。燕岳や硫黄岳、草津白根などの比ではない。
残念なのはいたるところに入り込んだ足跡が、かなり斜面の上まで続いている。盗掘だったら自治体は早急に手を打つ必要がある。
入り込んで写真を撮っていた男をみつけ、温厚で無口で気が小さい私が思わず怒鳴りつけていた。
“どうせつまらない写真しか撮れないくせに・・・”
頂上が近づくにつれてポツポツ現れだした赤い花、八甲田でハクサンチドリと間違えたヨツバシオガマを、この時例のパーティの女性に教えていただいた。
さらに登るとムシトリスミレの群生。故郷の山は花の山であった。
すでに雲は突き抜けていて振り返ると八幡平の山並み、右手には秋田駒の山群が、さらに登りながら廻り込むと鬼が城の城壁、遠くには鳥海が雲の上に頭を突き出していた。
火口を右手に見ながら最後の登り、4時間半を要して頂上にたどり着いた。例のパーティは東京の人たちで百名山に挑戦中という。
私も今年から始めてまだ30座にも届いていないと話した。
女性のパーティらしく持参した食べ物は豊富で、缶チューハイや焼いた牛タンまでご馳走になり千鳥足になってしまった。
30分ほど同定し別れを告げて私だけお鉢廻りに出発した。
というのもどうしても母校の石碑に参拝してから下山したかったのだ。
左から廻り込んで行くとやはり雲海の上に早池峰が見える。滝沢、盛岡方面は白一色の海、早池峰はさながら離れ小島であった。
さらに回り込むとやっと石碑が見えだし、近づいて見るとまさしく母校の碑であった。郷愁と感動の瞬間、36年遅れての参拝である。
下山は3時間を要した。途中の砂礫帯では数人の方が転倒していた。
下山後は八幡平から玉川を目指す。アスピーテラインになかなか入れずうろうろしてしまった。八幡平で水を汲む。
玉川温泉の水、田沢湖の茶立ての清水と呑み比べてみようという魂胆だ。
八幡平の水が一番やわらかく美味しかった。
温泉は藤七温泉に向かう。白濁した単純硫黄泉で私が最も好きな泉質だ。露天からは岩手山が望め、当然長湯になってしまう。
1時間も地元の方と話しこんでしまった。玉川では妻が首を長くして待っていてくれた。