木曽路1【本山・贄川宿~福島宿】
2008/11/22 の続き
【本山宿~贄川宿】8キロ
日出塩駅は細い路地の奥にある。突き当たりに駅舎が見えているが、妻が気付かずに先を進んでいるので寄らずに追いかける。国道と交叉し鉄道とも交叉しながら贄川を目指す。
3キロほど進むと道路上に【是より南 木曽路】の看板があり、右側の歩道上にも同じ石碑があった。以前からこの前を通る度に写真に撮ろうと思って気にしていたのに、交通量の多い国道で駐車スペースも無く撮れずにいた。
この碑は尾張藩と松本藩の国境になっていた。我々は一旦下って快調に進んでいく。
片平集落の手前から贄川までの3キロほどが、苦しい上りになっている。またこのあたりから【中部北陸自然歩道】として中山道の一部が残されている。この遊歩道は雰囲気があり、中山道歩きを実感できる。
畑、下遠の集落も旧道の雰囲気を高めてくれる小道具のようだ。遊歩道は国道を見下ろす崖の上であったり、耕作が放棄された畑の脇を進んで行く。このあたりで猿の集団と遭遇した。慣れない方は恐怖を覚えたり、また実際に事故になってしまうかもしれないので注意が必要。耕作が放棄されたような畑は、この猿の影響かもしれない。
贄川駅が見えてきたあたりに石塔があり、ここから国道を離れ左に入る道が残っていた。国道から見ると贄川駅の後ろ側を通るようだ。
見えているその道がおそらく中山道だろうと思って地図を確認すると、やはりそうだった。しかし車両通行不能となっていたので自転車では無理せずに国道を進む。
とうとう贄川駅に到着する。考えてみるとお昼に平出の駐車場でコーヒーを飲んだだけで、水分を口にしていない。個人のお宅の販売機でドリンクを買おうとしたのだが、千円札を受け付けてくれなかった。仕方なく駅の販売機で求める。トイレも使う。
まだ2時を回ったばかりだから、まだまだ進めそうだ。
駅からすぐに関所跡。考古館として復元利用されていて、前にも何度か寄ってい。ここも車を停めるスペースが少ししかなく、ゆっくり見た事がない。今日も橋の上から写真を写して通り過ぎた。
ここで宿場を歩いて抜けてきた団体とすれ違う。でも街道歩きの同好の氏ではなさそうだった。確かに贄川宿は街並みを見るだけでも価値がある程、出梁造りの家など雰囲気が残されている。それを楽しむ客だろうと思った。
国道はバイパスで家並みを迂回しているので、街道を車が走る事は少なく雰囲気を楽しみながら進ンでいく。そして奈良井川に架かる橋で再び国道と合流する。
歩道専用の白い橋で奈良井川を超えた。【平沢まで2.5キロ】との表示があり、時間から判断して平沢駅で帰りの電車に乗ろうと決めた。
【贄川宿~奈良井宿】7キロ
遊歩道を我々は快調に進む。道の駅【木曽ならかわ】の背中を通るように中山道が続いている。軽いアップダウンの後に平沢の手前で道が分かれるので、ここで間違うと平沢から外れてしまう。小山に沿って左に進む。
妻に声をかけると『もう足が痛い』と返事。まだ3時だったので私としては奈良井まで行きたかったのだが、予定通り平沢で止めようとした。
平沢の街並みには雰囲気があった。漆を購う大店が多かったようで、いまだに豪商が闊歩しているような風格・気品が感じられる。【間の宿】の機能を果たしていたはずなのに、どうしてなのか間の宿に認められていない。他の宿場の例を見ると宿場間の様々な駆け引きなど、ドロドロしたものがあったようだ。
気がついたらうっかり駅を通り過ぎてしまった。奈良井まであと2キロほどだし、時間にも余裕があるので、妻に我慢をさせて奈良井に向かう。ちなみに平沢には大小漆器屋さんが百軒以上ある。
ガードをくぐると列車が通っていった。いよいよ奈良井を目前にして中山道は奈良井川に沿って進む。川にはほとんど水が無くロケーションとしてはイマイチだった。
奈良井駅には3時20分だったので、3時58分に楽勝で間に合った。平沢の無人駅で乗れば自転車を列車に持ち込めたと思うのだが、奈良井駅には切符販売の駅員さんがいるのでカバーをかけなければ乗せてもらえない。元々私だけが電車で洗馬駅に戻り車で再び奈良井駅に来る予定だったから、カバーは持って来なかった。
しかし混雑もしていないし、このまま自転車を持ち込んで帰りたくなった。一旦断られたが、何度も確認に行くと『カバー無しでもいいですよ』と言ってくれた。でもやっぱりルールなので守る事にした。
4時の気温は2℃だったので妻には『寒くない状態にして待つように』と話し列車に乗る。ホームから見える山肌には薄く雪が積もって白くなっていた。洗馬駅は4時18分。車を回収して再び奈良井駅に着いたのは4時45分だった。
自転車を畳んで車に積んでいると、意思に反して鼻水がツツーッと落ちていく。
このまま明日は鳥居峠に挑むはずだったが、妻が自信がないと言うので今回の街道歩きはこれで終わりにする。どこか温泉にでも泊まって・・・と思ったのだが、木曽には満足な温泉が無い。家に戻り着いたのは21時になっていた。
2009/04/18(土)
【奈良井宿~藪原宿】5キロ
先週は情報が無く『ひょっとしたら雪が残っているかもしれない』という不安から、鳥居峠を跳ばして先に木曽福島まで進んだ。途中で出会った方の情報から『雪は全くない』と知れた事で、今回安心しての挑戦だ。
今日の計画は・・・まず薮原駅に車を置き、9時21分発の電車で奈良井に向かい、9時30分に奈良井を出発・・・3時間ほどで鳥居峠を踏破、車を回収して木曽福島に向かう。そして上松宿まで歩く予定だった。
ところが奈良井の道の駅に到着したのが、既に10時を回っていた。このまま予定通り薮原に向かっても、奈良井に向かう電車は11時26分しかなく、薮原の駅で1時間以上待つ事になる。急遽予定を変更してこのまま奈良井から歩き出す事にした。
ザックに昼食を詰め込んで出発する頃には10時30分になっていた。薮原の駅に13時15分までに到着しないと、2時間も薮原で電車を待たなければ成らない。どうなる事やら・・・。
木曽の大橋を渡るのは何度目か既に判らなくなった。【立ち入ってはいけません】と書かれているのに、中央本線を横断して街並みに入る。まだそれ程の人出はない。
一般的な観光客が大部分で、峠を越えるような支度をして歩いている人は見受けられない。
高札場を過ぎると神社があり、ここまでは何度も来ている。神社を過ぎると直ぐに山道を登る事になる。
一旦、舗装された路に戻るが直ぐに【鳥居峠上り口】に出会う。大きな石に【中山道】の表示があった。石畳はには唐松の落ち葉が積もっていて、綺麗な写真写りとはいかなかった。沢に架けられた橋を渡り、荒れた林を見ながら上っていく。
小一時間で木曽駒を望む休憩所に着いた。木々の間から僅かに白い頂上を望む事が出来たが、写した写真は見られる程の仕上がりではなかった。ザックをおろし休憩を取る。
ここで上着を脱いで体温を調節したり、甘いものを口に入れる事で再び気持ちを高める事ができた。
ところどころに距離を表示した石柱が設置されており、残りの距離が把握できる事は安心と心強さをもたらせてくれる。
上りの勾配は意外に心配する程の事は無く、妻のダメージもほとんどなかった。何とか妻は峠を越えられそうだ。
『汗をかいた背中に風を受け、ひんやりとする』と、妻は食事の時に敷くシートを纏って歩いていた。それはまるで渡世人が【三度笠】こそ持たないものの、縞の合羽を絡げて歩く姿を連想させて面白かった。
途中の道は危険な場所も無く、しかも確り整備されていた。沢を横断するにも数本の橋が架けられているので安心だ。
一箇所だけ少し朽ちた 橋があったので、注意が必要。
最後の急坂をこなすと峠の休憩所が迎えてくれた。丁度12時だったから1時間30分を要した事になる。私の足では半分の45分と言う所か?
入ってみると水洗が壊れていたがトイレもあり、飲用適の水場もある。掃除はされていないが新しく木の香漂うほどの休憩所だ。今日の昼食は準備が出来ずコンビニで求めたおにぎりだ。
残念だったのは小屋に食事の後のゴミが、置き去りにされていた事。中山道を歩こうと言う方のやる事とは思えない。
この方・・・踏破した後お友達等にどんな話をするのだろう。当然『中山道を歩ききったよ』と言うはずだが・・・その時是非『ゴミは置き去りにしながら』とも言ってほしい。こんな程度のモラールすら持ち得ない自分は、恥ずかしい人間である事を是非理解してもらいたい。
先週【巴ケ渕の小屋】で釣り券を売っていた小父さんが言うように、中山道を歩く人間にもこんなのがいる事を思い知らされた。若い方で【中山道を歩く】とはあまり聞かないから、一定以上の年齢の大人が・・・ですよ。
小屋から明治天皇の休憩所跡へ山道が続くが、妻の安全のため向かわない。ここで足でも痛めたら、今後楽しめなくなる。小さなコースアウトなどに拘るつもりはない。
小屋から百メートルで旧国道と中山道のどちらかを選んで下る事が出来る。味気ない旧国道を歩く方は皆無だと思う。
この分岐点から御嶽が綺麗に望む事が出来た。
熊除けの鐘を鳴らして歩き始める。12時半を過ぎていたので、薮原を1時19分の電車に乗る事は不可能になっている。2時間半も余裕の時間が出来てしまった。
峠には神社があり、大きな石の鳥居がある。ここからも御嶽が望めそうだったが、わざわざ登っていく事はしなかった。
下りは緩やかでしかも落ち葉がフカフカのクッションになっていて、雰囲気・コンディションとも本当に素晴らしい歩きが出来る峠道だった。
鳥居峠の碑の直ぐ下に休憩所があり、そこから望む薮原宿が上の写真だ。ゆっくり下っていると峠の休憩所で一緒だった【青シャツ氏】が追いついてきた。この方はインターネットなどでルートをよく調べてあり、先程も明治天皇の休憩跡までを教えていただいたが、安全に配慮して止めた経緯があった。
私達が出た後にそれを自分で登って調べてきてくれて、状態を丁寧に説明してくれた。この跡も抜きつ抜かれつ薮原駅まで同行した。石畳が出てくると藪原宿はもう直ぐ。
それでも本陣までは1キロ弱もあっただろうか。途中、追分のところで線路を越える。更に進んで防火塁等を見たり、ブラブラ時間を潰しながら駅に向かう。この間も青シャツ氏とは3度も前後する。
駅が見えてきたところで『お土産を買ってきたんですよ』と声をかけ、宮ノ越に向かって行った。
街並みとしてはそれ程保存されているとは言えない。特に木曽路は奈良井や妻籠などがメジャーすぎて他の宿は見劣りしてしまう。基準以上の状態で保存された建物は、数棟に過ぎないかもしれない。
薮原の駅で2時間近くも待つ。でもこれは承知の上でした事で、これ程ゆったりと時間を使う贅沢な旅は無い。ともすれば効率という名のあくせくした旅を求めがちだが、私達はこれでいい。
奈良井に戻ってホームから桜の花越しに向かいの山を見上げた。11月には白かった頂上付近も、めっきり春らしくなっていた。
2009/04/11(土)
【薮原宿~宮ノ越宿】8キロ
今日は今年初めての中山道への挑戦なので、〝妻の足が峠道に耐えてくれるか〟という不安もあったし、奈良井宿の木曽大橋の駐車場から見あげた鳥居峠辺りの山肌は白く見えていた。ひょっとすると雪があるかもしれない。そんな事を考慮し今日は薮原から進む事にして、鳥居トンネルをそのまま通り過ぎた。
トンネルを抜け国道から役場方向に下りて行くと、丁度駅に出くわした。トイレと駐車場が完備されていたので、当然有効に使わさせて頂く。目立たない位置で、かつ利用者の邪魔にならない場所に車を置いて出発。
1㌔ほど進むと早速訳のわからない交差点が出てきて、表示を見てもさっぱり判らなくなる。丁度通りかかった車を止めて聞いてみた。
娘さんとお父さんの地元の方は、わざわざ車から降りてまで親切に教えてくれた。昨日も全く同じ事を聞かれたそうだ。
どうも【中部北陸遊歩道】を進むのが良いようだ。
暖かな春の日を楽しみながらブラブラと歩いていると、距離を感じずに4キロほど進んでいた。木曽川には釣師が沢山入っていた。ここのところほとんど川で遊ぶ事が無くなってしまった私としては、少し寂しさを感じる。
この区間は史跡なども乏しく、二人の会話だけが疲れを癒す手段だ。
山吹トンネルの手前で今は使われていない路に右折する。ここで同好の氏に会いう。お互いに情報交換がしたかったようだ。私達に鳥居峠の事を尋ねられたのだが、残念だが情報を持っていなかった。お詫びとお互いの健闘を祈念しあって分かれた。
木曽川にかかる橋を渡って巴渕方向に右折。ここにも釣師が入っていた。トンネルを抜けた中央本線をくぐる時、ちょうど特急が頭上を通っていく。
巴ケ渕の上には休憩所の小屋があった。ここに日釣り券を販売する小父さんが立っていてあれこれ話しかけてくる。この小屋にゴミを置 いていく中仙道を歩く人の事を言っているが、本当にそうだろうか?
中山道を歩く人はそんな事をしないと信じたいよね~~私としては。
丁度トイレを使いたいと思っていたところだったので、教えていただいてトイレも使う。小屋から少し離れているので、教えていただかないと気付かなかったと思う。
『この小屋で休むか』妻に聞くと、講釈氏の小父さんが嫌なようで他に行くという。妻の気持ちを悟った私は小父さんにお礼を言ってその場所を後にした。後で気がついたのだがここが【巴ケ渕】だったようだ。
渕にルアーの釣師が入っていた。橋から見ていると完全に尺を越えている岩魚を見つけてしまった。あのお兄ちゃんに女神は微笑んだのでしょうか?
最初に出てくる集落は徳音寺という場所。それぞれのお宅は玄関に屋号を掲げていた。中には確り雰囲気を残している建物もあった。
木曽川に沿って義仲館に向かう。
義仲館で丁度お昼だったから、軒下の椅子を借りて昼食を摂る。館長さんらしき人が出てきて歴史の話を説明し続けるが、知りたい事以上の内容も含まれているので・・・ありがた○○・・・でした。『お願いですから静かに食事を取らせて』食べていると一人の男性が話しかけてきた。仙台から来て夕べ塩尻に泊まり、今日薮原から中山道を歩いて来たそうだ。
結局この方とは木曽福島まで一緒に歩く事になる。人の良さそうな方で私達も抵抗無く同行する事が出来た。
食事を終えて出発すると、木曽駒の頂上が輝いていました。
【宮ノ越宿~福島宿】7キロ
義仲館から福島本陣跡まではほんの僅かだ。薮原からは休憩時間を除くと丁度2時間だった。このあたりは旭地区で、先ほどから気がついていたが何故か屋根が赤いお宅ばかりだった。
宿場としての景観を留めていて十分楽しみながら歩いていた。仙台の方とは前後して進む。そこそこの健脚らしく、妻が早すぎてお腹が痛くなった・・・と言うので、自分達のペースで進むと差はどんどん開いていった。
原野も街並みとしては見るべきものがある。やはり間の宿的な機能があったようだ。家並みが途切れると中央アルプスがご覧の通り。
福島に向うと右手に原野の駅がみえてくる。
中山道中間点の看板を見つけ、更に碑もあるだろうと思って探していると、何処からか仙台が現れた。やはり碑を探してR19の方まで行って来たようだ。『何も無かった』と言って戻ってきたが、妻は先に進んでいたので、私は仙台の相手をせずに中間点を後にする。
道の駅木曽駒高原で今日の予定は終了のはずだったが、妻の調子は良いようでそのまま進む事にした。大分木曽福島に近づいてから『道の駅はまだなの?』と聞かれた。しかしもう戻る事は出来ない。妻には諦めて付き合ってもらった。
変則の交差点を斜め右に入って行くと・・・いかにもそれらしい山道を歩く事になってしまった。ストックを使わせてゆっくり下る。妻はいつも下りで膝を痛めてしまうから心配なのだ。
鉄の橋を先に渡らせて写真を写す。仙台はどうもコースを間違えて国道を行ったようだ。
おそらく仙台は追い越して行ってしまっただろうと思っていると、薬師堂のある高台から声をかけて来た。ここには二十三夜《多分?》の碑があり、その【に】という字が二人とも初めて見る字で、当然私は自信を持って答える事が出来なかった。
上野地区も確りと宿場の景観が保たれている。それにしても今日の区間は表示が悪すぎた。何度も迷ってしまったので、違うコースを進んだ事と思う。福島に近づいてやっと少し改善が見られた。
木曽の大橋が頭上を通っている。もうほとんど福島に到着だ。大きな門が立っていて【福島宿到着】と【関所】を実感させてくれた。
関所跡へと上っていった。多くの観光客が見学していた。例の大門の駐車場に観光バスが2台あったので、その団体の方たちのようだ。 一通り通り過ぎながら見たが、入場料を払ってまでは見る必要性を感じなかった。
仙台は今日近くの宿に泊まって、明日【上松宿】まで歩いてから仙台に戻るそうだ。残念だが挨拶をして別れる。
同じ方向に進んでいるので、いつか又どこかで会える事を楽しみにしていよう。
駅方向に進んでいくと足湯があった。最近妻は足湯にはまっているし、今日は頑張ったので使うように進める。この温泉は【二本木の湯】からの引き湯で、疲れは確り癒されるはずだ。電車の時間はギリギリだったが、一本遅らせても4時台のがある。
ただ忙しく行動するだけでなく、ゆっくり楽しむ事も必要で・・・本音を言うと・・・妻が足湯をしている間に私は【上段の街並み】を見たかったのだ。
この街並みは【古い街並み】を楽しむ同好の士の間ではメジャーな街並みで、必ず見ておくべき街並みだ。
上段を【うえんだ】と読むようだ。短い区間だが良く保存されていた。あるいはわざわざ作ったものと思えるほど確りした建物もあった。
雰囲気を楽しむと言うよりは記録写真を撮るためだけ・・・のような気がする。急いで戻ると妻は足湯を既に止めていた。
熱すぎてダメだったようだ。
ゆっくり駅に向かったが着いてみると3時37分発に10分ほど余裕があった。電車は僅か15分ほどで薮原に到着してしまう。電車旅もあっと言う間だ。
文明はかくも素晴らしい移動手段を生み出したが、かくも味気ない移動手段をも生み出した。
これでやっと中間点を越えました。後は減っていくだけです。何とかここまで来られました。