悪夢再現・・・甲武信岳
平田影郎
先生が西沢渓谷からの甲武信は大変だと言うので、あっさり別コースを選択した。とにかく“日帰り”が条件だ。毛木平からのコースタイムを見ると西沢渓谷より2時間は短縮できそうなので、またまた安直登山コースを選んでしまった。
川上村の有名な野菜畑の中の道を突き抜けて、林の中を5分も走ると毛木平の駐車場である。よく整備された駐車場で綺麗な休憩所・トイレが完備されている。こんなところには似つかわしくないが利用者としては素直に喜ぼう。すでに駐車してあるのは1台だけ。(あとでわかったが十文字小屋の車だった)
雨が降り続き気は進まないがここまで来た以上、雨具をつけて登りだした。平坦な道を小1時間も歩いていよいよ登りにかかるころ、あんなに強かった雨があがってしまった。
脱いだり着たりが面倒だったのでそのまま歩いていたが、暑くてかなわないので脱ぐことにした。しかしこのあと運良く雨具を着ける事はなかった。何度か休憩をとり丁度3時間で千曲川水源に到着した。鬱蒼として昼なお暗いしらびそ(?)の林の中に水源はあった。
あの大河、千曲の源にたどり着いたと思うとやはり感動である。手ですくい口に含んでまた感動である。5秒と手を入れておくことができないほど冷たく、含んでは実に甘い。
腹ごしらえをして再度登りにかかった。そして急登を20分も登ると稜線にとび出た。ガスは切れたり湧いたりの繰り返しで、眼下には緑の樹海が広がっている。尾根には遅い石楠花がポツ・ポツと花をつけている。休まずさらに30分弱で頂上に出た。ほぼ4時間を要した。
数人の先着者と話をすると、みな小屋泊りの人かタクシー利用で毛木平からだという。やっぱり毛木平のほうがラクなようだ。
水源地で食事をしたばかりだったのでお腹は空いておらず、写真を撮ったりしながら30分ほど休憩をとった。ほとんどの峰は雲海の上に頭を出しているだけであったが、山宝岩だけはよく見えた。
山頂の人たちもそれぞれ下山を開始した。同じコースで来た男性も下っていった。私もその男性が消えた下山路を後を追うように下った。
200㍍を一気に下ったものの何かが変だ。まったく見覚えがないのだ。登りに見た石楠花が全くない。それもそのはず、そこは三宝山への従走路だったのである。
つい・・・うっかり・・・先行者が毛木平に直接下るものとばかり思っていたから、確認もせずに十文字峠への道を下ってしまった。登り返すのも目の前の急登を見るとウンザリしてしまい、平坦路らしきこっちの道を進むことにした。
でも結果としてはここで引き返したほうがまだまだ楽だったに違いない。この先私は6時間後にヘロヘロの状態で毛木平にたどり着くのである。
毛木平からも決して楽ではなかったのだ。あの谷川岳でのルート間違いが脳裏をよぎった。
三宝山山頂に着くと先ほどの先行者がいて「あれ! 直接下るんじゃないんですか?」まさか間違えて来てしまったとも言えず「同じルートじゃつまらないので」「その方がいいですよ。こっちも森が素晴らしいですよ」とまた先行していった。
山宝岩に登ると甲武信の頂上が良く見えた。武信白岩山を目指して20分以上急激にくだり30分以上かけて登り返す。
シラビソの樹林の中ではハエを小さくしたような虫が私にまとわりつき、目を開けていると飛び込み、呼吸をすると吸い込まれる状態が三宝山から続いていて、立ち止まることも弁当を開くこともできない。それに加えてアップダウンの連続。はっきり言ってシャリバテである。虫を一緒に食べる覚悟で弁当を開くことも考えたが、やはりその勇気は湧いてこなかった。
先ほどから続く鬱蒼としたしらびその樹林。朽ちて倒れた親木からはそれぞれ世代の違う子孫達が成長を始めている。確実に世代交代が繰り返されている森であった。
倒木を覆う名も知らぬ苔、むせ返るような湿気の中を飛び交う小さな虫。太古から育まれた大自然。今まで森の何が素晴らしいのか興味すらなかった。
いや、ブナの森の美しさ、水の美味しさ、緑のダムの重要さなどその場その場で理解しているつもりではいたが、学問的に体系だてて考えることは無かった。道を間違えてこの森に踏み込んだお陰でおぼろげながら理解できた気がした。
白岩山の岩峰はガスの中で、おそらくは切れ落ちていた稜線も恐怖感は全く無し。大山への登り返しから十文字への下りは1時間半を要した。
十文字小屋の屋根が目に飛び込んで来たときは飛び上がるほど嬉しかった。
先行者は1時間も前に通ったと言う。「下るだけだ」ほっとした私は小屋でビールを買い大休止をした。しかしそれから2時間も下る事になるのを私はすっかり忘れていた。