近江路Ⅰ【今須宿~鳥居本宿】
2012/10/31(水)の続き
【今須宿~柏原宿】4キロ
前方にR21が見てくると、交差点のところにバスが止まっている。多くのお年寄りが高台から降りてきて、バスに乗り込んでいた。
ついつい野次馬根性で引率している方に『ここに何かあるんですか?』と尋ねた。その方は郷土史の研究家だったようで、【車返しの坂】の由来ををこんこんと説明されてしまった。ここにはその説明の碑があるようだ。妻は既に国道を横断して進んでいる。
焦った私は郷土史研究家の先生に『皆さんお待ちですよ』と告げ、お礼を言って強引に立ち去った。
国道を越え僅かで近江に突入だ。ここからは近江路になる。かつての国境の案内柱が建っていて、ポーズを取って写真に納まる。
ここは【寝物語の碑】が建っている。この碑を読むと由来が面白い。当時国境を挟んで宿屋が建っていたが、それぞれ他国の泊り客同士が国境を挟んだ宿に寝ころんだまま壁を挟んで話をした・・・と言う逸話。寝ながら話せるほど近かったと言うことらしい。
楓の大木の並木を通る。さらに進むと旧東山道へ入っていく。暗い林の中で、山賊でも出てきそうな道だが、所々で左手下方に現在の通りを望むことができる。
通りからあまり離れてはいないので、山賊が出てきても安心だ。
通りに戻ると踏切を越えて柏原の街並みへと入っていく。この街並みで感じたのは、どのお宅も美しい生垣で囲まれている事。実に手入れの行き届いた、庭・生垣を堪能しながら歩く。
古い街並みも美しい。古くてもほとんど空き家などは無く、しっかり人間の営みが感じられた。新しさを求めずしっとりと暮らす・・・どんな方々なのだろうか。
街並みの3分の一ほどのところにJR柏原駅があり、今日はここまでとした。さて私は車を回収しに関ヶ原に向かうのだが、このコースは結構アップダウンがあった。
さらには関ヶ原町役場は駅から遠くない。電車の方がはるかに効率的で、電車で向かう事にする。
妻は柏原の駅舎で待てるので、それも安心だった。
ほとんど待たずに電車がきて、飛び乗った。車窓からは伊吹山の雄大な姿が望めた。
妻を柏原で拾い、道の駅【伊吹】に向かう。途中のマーケットで買い物する頃にはとっぷりと日も暮れて、暗くて慣れない道を走って道の駅に着くのは至難の業。何度も迷い、何度も尋ねてやっと到着できた。
道の駅は真っ暗で既に人もいない。僅かに数台の車がトイレの影に停まっていて、中にいる方は既に眠りに着いていそうだ。
ココを散歩させるのは気が引けるが、なるべく声を出させないように、静かにオシッコをさせる。
泊まっている方は道路工事などで出稼ぎに来ているような感じ。毎晩ここで寝ているようだ。小さい車では大変だろうなと思った。
夕食は8時。翌朝も早く出る必要はないので、遅くまでDVDを見たり、ココを散歩させたり。11時ごろになってやっと眠り付く。
翌朝、隣の牛乳屋さんの水道を使わせてもらって、食器を洗う。ついでに洗い物用の水も4リットルペットボトルに数本貰う。
道の駅のトイレの水は、妻の抵抗感が強くて使う事が出来ない。お礼の意味で店員さんが出てきてから、飲むヨーグルトを購入した。
2012/11/01(木)
柏原の街の中を駐車スペースを探してウロウロする。診療所が併設されている歴史館を見つけたが、長い時間の駐車には抵抗があって他を探す。
案内図で海洋センターを見つけ行ってみると地元の人がいた。聞くと『何時間ぐらい?』と。『醒ヶ井まで歩いて戻ってくるあいだ』と言うと了解してくれた。
でも・・・観光地図に【P】って表示されているのに、不満の残る話ではある。
地元とのコンセンサスを図ったうえで観光地図に入れているのではないようだ。行政の対応はえてしてこういうケースが多い。
とりあえず駐車スペースは確保できた。ココちゃんは留守番だ。昨日は駅までしか歩いていないので、一旦駅まで歩いて戻り醒ヶ井方向に今来た道を折り返すように歩き始めた。
柏原の街並みは【古さ】にも趣があり、また綺麗でもある。街歩きをする者にとっては【良い街並み】だ。出し梁造り、うだつがある建物、格子のお宅・・・かつての家並が確り保存されている。
そしてその中に史跡も保存されていて、中山道の面影を現代に伝える数少ない宿場だと思う。
柏原宿は天保14年段階で戸数344軒、人口が1.468人。本陣が1、旅籠が22軒、豆腐屋9軒・・・・という詳細なパンフレットまで作ってくれている。
旅人にはありがたい資料で、その熱意には感じるものがある。それだけに海洋センターの駐車場の件は、旅人が自由に使えるよう開放してほしいものだ。
地元や事業者と確りコンセンサスを図るようお願いしたい。
【柏原宿~醒井宿】4キロ
街並みを抜けると問屋場跡や一理塚が次々に現れる。現代風に整備された史跡だ。徳川三代将軍が上洛の際に使用した御殿跡など史跡が連続する。
ちなみにこの御殿は家康・秀忠・家光の三人で14回ほど使用されたとか。
当時の街道に沿って植えられた松は【松枯れ病】にやられていて、早めの対策が必要のようだ。この松並木からを過ぎると、ちょっと街道からはそれるので行かなかったが【北畠具行卿の墓】がある。
後醍醐天皇を擁立して倒幕運動を画策した人物で、捕えられて鎌倉に移送される途中にこの地で処刑されたそうだ。
長沢地区から旧道に入る。全くの山道でぬかるみもある道。時期にはヒルが吸い付きそうな雰囲気が漂う。
再び舗装の道に戻る。モーテルが数件立ち並ぶ脇を歩く。モーテルでは経営がたちゆかず、一般的な宿に鞍替えしたような感じ。旅人にとってはちょっと邪魔な雰囲気。
国道に出会い、ここで横断してしまう。左側の歩道が広いので安全のためにこちら側を歩く。1キロ弱国道を辿ると大木が現れ、食堂脇から中山道は左に入っていく。
大きな標柱もあり目印としては、見損じる事は無い。ここまで進むと既に米原市に入っている。
趣のある住宅街の中を中山道は続く。高速道に沿って進む。休憩所があり、ここでザックを下ろして休む。住宅街と高速に挟まれた場所でゆっくりするには違和感があって、再びそそくさと出発した。
何ケ所か【○○清水】と言うように水に纏わるものが連続する。
醒ヶ井は水の街という感がある。その代表は街を貫いて流れる【地蔵川】で、素晴らしい清流をこの後見る事になる。
小さいが枡形を感じさせる角を曲がると、本格的な宿場の雰囲気が現れ始める。醒ヶ井も趣のある綺麗な宿場だ。
柏原・醒ヶ井と近江路に入ってからの宿場は、かなり高いレベルの街並みで歩いていて楽しい。
地蔵川の清流を左に見ると宿場の中核に到着。休憩所とトイレがあって使わせてもらう。15分ほど休んだろうか。休憩所の中には何か飾り付けがされていて、休憩しながら楽しめるようになっていた。
他の旅人も数人トイレ休憩をしたり、地蔵川の流れを写したり。
【醒井宿~番場宿】4キロ
それにしても町の住人の排水が流れ込んでいないのか、地蔵川の水は透き通っている。水のイメージが強く残る街並みだった。
川を橋で越えて対岸側を歩くと、宿外れのところで再び橋がある。この橋のところにはいかにも数百年経過したような民家があり、現役で八百屋さんとして使用されている。この建物の雰囲気は必見だ。
中山道はこの別れを左の高速道路方向に進む。右に進むと駅方向で、【醒ヶ井水の宿駅】がある。車を置くのに利用できそうだ。
しかし私達は長く停めて置く事に抵抗があり、このまま番場宿まで続けて歩く事にしていた。
一旦国道に出会い、国道に沿って進む。数百㍍で右手の電気屋さんのところから脇道を進むはずだったが、私達はそれより手前で右手の脇道に入ってしまった。
すぐに気が付いて民家の裏から正しい中山道に戻る事ができた。
国道を横切って床屋さんの角から住宅地の細い道に入っていく。静かな佇まいだが、特に中山道らしさを感じるものは無い。
センターラインのある大きい通りに出会うと、そこは米原ICの近く。高速をくぐり一里塚から右に折れて田舎道を辿る。
地図にはこの一里塚から番場宿と記されているが、実際にはもう少し先まで家並は無い。
家並が出てきても古いものはほとんど無い。今日の予定はここまでだ。休憩できるところを探しながら歩く。数人の方に休憩所を聞いたが、みなさん口をそろえたように『無い』と。
公民館があったが鍵締めで、行事がないと開けないとか。とうとう宿を抜けてしまった。
仕方なくもう一度戻る。『お寺さんに参拝者のための休憩施設がある』と教えてもらったが、距離があったのと雰囲気もイマイチ。
結局路地に入ったところにある倉庫の軒下で待たせていただく事にした。風もしのげそうだ。最悪・・・不審者と思われても女性だと安心してもらえる可能性が高いので。
急いで柏原の海洋センターまで自転車を飛ばす。一分でも早く・・・。サドルに擦れてお尻が痛い。
1時間弱で海洋センターに戻り付く。ココちゃんを隣のグランドで散歩させて、再び番場宿へ車を飛ばす。
醒ヶ井駅の隣にある水の駅は十分車を停めておけるスペースが確保されていた。でも私達はもう利用する事は無い。
番場宿と言えば長谷川伸原作の『瞼の母』の忠太郎の生まれ故郷。渡世人の世界は、ツウにとってはそれなりに面白い。ただ因むものは碑が残っているだけで、特別なものは無いのが残念。
集落の鳥居本側のはずれにバスでも停まれるほどの空き地があり、ここにキャンピングカーを停めて食事やコーヒーで長い休憩に。
すぐ前のお宅の奥さんが畑仕事をしていたので『明日ここに駐車して良いか』と尋ねると、『だれも使うことは無いので自由に停めて良い』と了解してもらえた。
これで明日は安心だ。しかし天候は不安がいっぱい・・・曇り空は何時泣き始めてもおかしくない状況だ。
彦根の中心街で夕食を買う。今日の泊は【道の駅 母の郷】を予定する。その前に洗濯もしたいので、コインランドリーへ。
私たちは使った事が無くて如何したら良いか分からない。運よく他のお客さんがいたのでやり方を教えてもらった。後から判った事だが、安くできる方法があったとか。洗濯に2時間以上かかってしまった。
道の駅までは30分ほどかかったが、まだ開いている時間に到着できた。
道の駅でも何かおかずになりそうなものを見るが、買いたいものはやはり無い。
とにかく・・・琵琶湖からの強い風に煽られっぱなしで、車は揺れ続け。雨が心配されたので最初トイレの前に場所を確保したが、あまりの風にとうとう音をあげた。
車を道の駅の裏側、体育館の駐車場に移した。ここは風が無くて別天地、快適に寝ることができた。
体育館を利用していた人や道の駅の人が最後にあがるときに、『車を移動して』と言われると思っていたがいらぬ心配だった。
翌朝目が覚めると雨は上がっておらず、今日の歩きは中止とした。もともと午前中一区間だけ歩くつもりだったので、残念さもそれほどでは無い。
風呂にでも入って埼玉へ帰えろー。彦根に戻って【極楽湯】へ。夕方までいるつもりで湯上りの一杯をキューッとやってしまった。
ココちゃんはキャンピングカーの中でお留守番。
妻と私が2時間おきほどに交替でお散歩させ、もう一回ずつお湯に浸かって埼玉へ。向かいのスーパーで夕食の買い物をして彦根インタかーーから高速に載った。
2013/03/20(水)
【番場宿~鳥居本宿】6キロ
前日遅くに自宅を出発し長野道姨捨SAで眠る。翌朝は6時には起きだして朝食を済ませ、8時前には姨捨を出発する。
途中、一度の休憩を入れただけで米原ICまで走る。番場宿の空き地に到着したのは14時に近く、おりしも雨が落ちだしていた。
迷ったが雨脚は強くなりそうもなく、とりあえず雨具を着けずに歩き出す。一区間だけでも終わらせておきたい欲があった。
15分も歩くと衣類が濡れるほどの雨に変わる。風邪をひいては明日以降の日程が無駄になってしまう。ここは焦らずに確り対策する事に。
さりとて雨に打たれながらザックの中を取り出すのは厄介で、高速道路の下をくぐる通路を見つけて雨を凌ぐ。雨具を着けて【する針峠】に挑む。
高速道路脇の道からは高速道路が良く望める。走行する車から私たちを見て何を思っているのだろうか。ここが旧中山道と知っているドライバーはほとんどいないだろう。
一旦登りそしてダラダラ下ると分岐だ。右手に折れて進むのが中山道だ。やがて民家が見えだすと【する針一里塚跡】で、民家の庭の片隅に小さな石柱が建つ。
民家の間の道を登って行く。左手に神社の鳥居が見えて来た。ほんの数十㍍だが道と分かれて、鳥居の側に登って行くのが正しい中山道だ。
ここがかつての【望湖堂跡】で大きな茶があり、旅人は絶景を堪能しながら【するはり餅】に舌鼓を打ったと言う。
和宮が立ち寄ったほどで【茶屋】とは言いながらも【本陣】程の威容を誇っていたと言う。鳥居本宿と番場宿の本陣が『望湖堂が本陣まがいの営業をしているので慎むように』と奉行宛に訴え出た・・・と写真の看板に記されている。近年火事で焼失する。
する針峠は望湖堂を頂点にして鳥居本に下っていく。ヘアピンのように曲がりくねる山道を数百㍍下ると、中山道は木立の中の杣道をに変わる。
この登山道的な道も数百㍍で終わる。左手を見上げると舗装の道を進む妻が見える。道は通りから大きくは逸れない。
産廃の処理場がありユニックでかき混ぜているので埃がすごい。雨をものともしない埃の勢いに閉口する。ここはマスクが必携だ。
R8出会うが直ぐに左手の古い街並みに入っていく。入り口に街道を往来した当時の人々のモチーフがある。もう街並みが見えている。
虫籠窓、うだつ、格子戸など当時のままの雰囲気が、そのまま残されている建物が連続する本格的な宿場。弱いが雨はまだ降り続いている。
妻を待たせて置いて車を回収しに向かうつもりだが、前回の下見でこの宿場にそのような施設が無い事は知っていた。
駅の看板があったのでとりあえず行ってみる。無人だが雨風が凌げる待合室があり、ここで待たす事にした。近江鉄道鳥居本駅はトイレが故障で使えない。無人とは言えトイレぐらいは修理してほしい・・・。
街並みの中に一際目を引く大豪邸、古くて若干朽ちてはいるが風格が他の建物とは全く違っていた。看板を見ると【赤玉神教丸】の昔ながらの製法を今に伝えているとの事。
現在も販売しているようだ。1.750年頃の建物のようで、右側部分だけが明治天皇の休憩施設として後年築造された。
今日の予定は一区間・・・雨なのに予定通りに歩くことができて満足する。
さて・・・峠道を厳しい登りを自転車で番場に戻るか、R8を戻るか大いに迷う。R8を戻ると距離は3倍ほどある。
結局辛くても一度通って分かっている道を戻ることにした。当然する針峠の登りは心臓がバクバクしていたが、30分ほどで番場宿に戻る。
車を回収して鳥居本駅に戻る。妻を拾ってから近くを車で確認するも、駐車できそうな場所は見つからない。明日はこの駅の駐車場を借りる事にして、宿泊場所の【道の駅こうら】に向かう。
途中、裏道を辿ったせいかマーケットが一軒もなく夕食が調達できない事態に。【道の駅こうら】はまだオープン前で直売所だけが細々と営業していたが、夕食として使えそうなものは無く店員さんに買い物できる場所を聞いた。
役場近くのマーケットを教えてもらって食材を調達し夕食とする。この日の道の駅の泊は我が家一台だけという寂しさも、裏を返せば静かでゆっくり熟睡できた最高の環境だった。それでも明け方目を覚ますとトラックが遠くに4・5台泊まっていた。