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旅あれこれ 海外20【ソウル 光化門広場と清渓川】

ソウル 光化門広場と清渓川

光化門広場と清渓川【韓国・ソウル】
2016.9.14(水)

光化門(クァンゲムン)広場

景福宮の正門、光化門から市庁舎方面に続く世宗大路(セジョンデロ)には、光化門広場がある。

かつては16車線だった道を中央の6車線を廃して、2009年に広場が誕生した。

工事には1年3か月の期間を要したが、この規模の工事からすれば何とも素早い対処で驚くばかりだ。

週末になれば広場では多くのイベントが開催され、市民の憩いの場としてにぎわいを見せている。

この道を2回通ったが・・・書の展示会では書家がその場で客が希望する文字を書いてプレゼントしていたし、中央の噴水では子供たちが水着に着替えて、大声で走り回っていた。いずこの国でも子供は水が好きだ。

街の真ん中に親水公園は・・・発想が素晴らしい。簡易的とはいえ更衣室も確り設えられていた。

世宗大王像
天体観測器
雨量計
日時計

公園の中央にはハングル文字を考案した四代王である世宗大王の銅像がある。像の前側の広場には大王の業績である雨量計・日時計・天体観測器などの発明品の模型も展示されている。

地下は展示空間になっていて、さまざまな資料などが無料で見学することができる。

いざという時はシェルターにもなる展示スペース

この広場のもう一人の主人公は忠武公だ。豊臣秀吉が20万ともいわれる軍勢で攻め込んだ文禄や慶長の役で、朝鮮水軍を率いて日本軍と戦った韓国の大英雄イ・スンシンの銅像もある。

臣下としての身分でありながら、歴代王の中でも特に優れた王と評される世宗大王と並び称されるイ・スンシン。韓国民のイ・スンシンへの尊敬の念が現されている。

銅像は王を守るように配されていて、韓国国防の象徴のようですらある。

忠武公と慕われるイ・スンシンの展示空間も近くのビルの地下にあり、2つの展示空間は地下道でつながっている。

忠武公が考案したと言われる亀甲船の模型もこの展示室にあり、歴史好きとしては見逃せない。

実物の55㌫の模型でかなり大型で本格的なもの。残念ながらここにこんな素晴らしいものが展示されていると知らなかった。

妻はこれを見るためにもう一度ソウルへ行くと言い張っている。

忠武公(イ・スンシン)像
広場の位置関係。

像下に黒い亀甲船模型。そして噴水。最奥には光化門が、その手前に大王像。

清渓川(チョンゲチョン)

ソウルの中心部、光化門の清渓広場を基点にして、西から東に流れる清渓川(チョンゲチヨン)は人工河川だ。

もともと小河川だった清渓川は生活排水などによって激しく汚染された。過去の一時期は汚染を目隠しするため、暗渠にしてこの川が消えてしまった事もあった。

2005年に全長5.8㌔の人工河川として生まれ変わり、ソウル市民の憩いの場として復活した。

河川脇には遊歩道が整備され、さまざまなイベントスペースや展示スペースなどが設けられている。

また5.8㌔間に22本の橋が架けられ、その橋の景観の違いを楽しむ企画もあるようだ。

さらには滝を彷彿させる構造になっている個所もあり、夜はライトアップされた水の流れが楽しめる。

市民の憩いの場として、恋人たちのデートスポットとして、また観光客の癒し空間として・・・さまざまな用途に広く活用されている。

朝鮮時代にはこの川を境にして、北側を・・・三清洞(サムチョンドン)や仁寺洞(インサドン)を北村(プクチョン)と呼んだ。

現在、当時の韓屋が集中的に残っている場所が、代表的な北村として多くの観光客を集めている。

また、北側に対して清渓川の南側、忠武路(チュンムロ)や明洞(ミョンドン)辺りを南村(ナムチョン)と呼ばれていた。

北側には現在も残っているように宮殿や高臣の屋敷の区域であり、南側は商業などの中心部であった。

清渓川は地理的に北と南を分けているだけではなく、政治や文化・経済ももソウルを分け隔てる川だったようだ

この写真の壁画は遊歩道に整備された正祖が両親の墓参りをする図だ。長さ190㍍、縦2㍍の壁画で、陶磁器タイルで壁画に再現されたものだ。

その他にもさまざまなコーナーがあり、夜のライトアップまで半日は楽しめるコースになっている。

清渓川の整備と同時に設置された正祖の遠征図壁画・・・タイルで焼かれた
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