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普寛上人が開山

登山(百名山以外の山)

朝5時、アラームにたたき起こされて・・・とっ言っても自分でセットしたのですが・・・自分でセットした手前、イヤイヤですが起き上がりました。

アラームで起こされた妻は、私が起き上がらないので『今日は行かないんだ!』と思ったそうです。再び直ぐに眠りに落ちた妻、目が覚めたら私がいないのでビックリ。

時間的な事もあるので候補を二つに絞りました。一つは山梨側の【乾徳山】、そして埼玉側の【秩父御岳山】。道の駅大滝温泉に到着したら既に7時半でしたから、今日は乾徳山を諦めて御岳山に。

地図でもないかな・・・と温泉などを覗いてみましたが、それらしきものはありませんでした。まあ登山者の数が数ですから、行政も力を注ぐのにも限界があるかもしれません。

普段ならそれでいいのですが、ところが今回は【落合からの直登コース】が崩落で工事中・・・結局強石地区から登ってくる林道まで迂回させられ、道が分かりづらくて苦労しました。メモ的な地図で良いですから、用意してほしかったなあ~~。

普寛上人と言えば俗に言う【修験者】だと思うのです。【役の行者】などと同様に良く知られています。木曽の御嶽山や越後の八海山(屏風道)、上州武尊(じょうしゅうほたか)を開山したことはご承知の通りです。

八海山は普寛が開山した後、爆発的に修験者が訪れるようになりました。【大日岳】の様に仏様の名前が冠されていますが、その修験場としての名残なのでしょう。

当時、登山は修験者や特定の人達だけのモノだったはずですが、普寛が多くの山を開山したことによって、庶民の中にも信仰登山が浸透していったようです。現在私達が登山を楽しめるのは普寛様のお蔭なんですね。

秩父御岳山は・・・当時木曽まで行くには大変な旅行でしたから、手軽に庶民が信仰の対象として楽しめるように生誕の地秩父にも【御岳山】を開山したのです。
こうした疑似信仰の対象となる御岳山は全国に点在しています。

私の住む街が普寛上人の終焉の地なんですが、妻はその地にある神社の境内で子供の頃遊んでいました。妻が生まれたのはこの神社のすぐ近くだったのです。たまに【歩き】でその境内もコースに入りますから、普寛上人は何となく近い存在に感じています。

埼玉県北部では【普寛信仰】が結構盛んなんです。それにしても修験者って仏道なんでしょうか?   それとも神道なの・・・良く解りません。

熊野を歩いたり出羽三山に行くと、本当にそんな疑問が湧いてきます。もっとも廃仏毀釈以前にはそんな概念もなかったのですから、今の感覚の方がおかしいのですが・・・。

写真は山頂の社と鐘です。この鐘を秩父中に響き渡るほど、思いっきり3発もひっぱたきました。もちろん願うは家族の健康です。

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