朝、岩手の親友から電話。
古希のお祝いの帰りに見舞って来た同級生が、自分の命を奪う病名もおそらく知らぬまま逝きました。
最後に会えたのが彼の天国に行ってからの、想い出になってくれればうれしいけど・・・。
電話をくれた親友にあの日「義理のお姉さん(同級生)に頼んだら、家族に連絡取ってくれて会えるよ!」と話したら。
「俺も行くよ!」と・・・二人で面会したのでした。
喉に管が入っていたせいなのか声はかすれて声にならず、途切れ途切れになりながら懸命に訴えるのです。
・倒れた時までは記憶がある。
・気が付いたらお腹に傷があった。と病院着を開いて見せるのです。「あるいは手術までの記憶はあって傷の事と今回ここに運ばれたことは別なのかもしれないが。」
・自分がなぜここに入れられているのか解らない。「ホスピスだと言う事も解ってない様子。」
・小指をたてて世話する女性が居ないからかも・・・と言ってる感じ。「奥さんは数年前に他界しているので、子供が面倒見ていた。
・そして手で首を絞めるような恰好をして、自殺を心配しているのかも・・・と言う感じ事を言っていた。
・そして私と友に・・・何という病気で入院している・・・と聴いてきたのか?とっ。
次の歳祝いまでには治して、必ず参加しよう。たとえ車いすでも迎えに来るから・・・と話すと、大きく前かがみに机に伏せてはしゃいでみせるのでした。
私のような遠くから駆け付けた友でさえ大腸がんで余命いくばくもないと知っているのに、肝心の本人が何も準備しないまま逝かなければならない寂しさ。
実際もそういう最期だったと思います。それって寂しいなあ。
誰かに手を握ってもらって・・・逝ったのでしょうか。
これ以上は家族の問題ですから立ち入れませんが、寂しくない最期であってほしいのです。
私の父も母も、そして兄までも・・・病名も知らず、息子の私が父や母が病気である事すらも知らない間に逝きましたから。
小学校入学する前から、同じ学校に通うことになる人は3人しか知りませんでした。
一人は同じ集落の従兄弟。そしてもう一人は現在田舎で喫茶店をやっていて、帰ると必ず尋ねる友。
そしてもう一人が、同じ集落の今日逝った彼でした。
穏やかな性格で・・・およそ人を疑うことなども知らず・・・思い出して腹を立てるなど絶対にない男でした。
どちらかと言うと私の舎弟分。
小学校の時、二人でバイクに相乗りしていて、田んぼに転げ落ちました。
後ろに乗っていた彼、持っていたアイスキャンデーを・・・それでも離さず田んぼから這い上がってきました。
振り返ると沢山の笑える逸話が出てきます。やんちゃ仲間でしたから。
素晴らしい仲間を失って・・・寂しいなあ。私の人生の一部が欠けたような・・・大きな穴が開きました。
先に逝った奥さんと会えたかな。合掌
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