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叔母の死

雑感

朝、釜石の叔母の娘、従姉妹(いとこ)から電話が入っていたのに気が付かず。

電話をすると応答が無くて、叔母に何かあったのかと・・・慌てて姉に電話してみました。

そしたら「昨日の地震を心配してラインをしたけど既読にならずに心配だ」と姉にも電話があったそうです。

姉は「どうせどこかにキャンピングカーで旅行でもしているのだろう」と答えたそうです。

しばらくして従姉妹から着信履歴をみて電話が来ました。

心配ないと話して・・・釜石の叔母にも変わったことは無くて安心しました。

久しぶりだったので色々話しているうちに「横浜の叔母さんが、2月に亡くなったのを知ってる?」って。

父方の兄弟で男兄弟では一番下の弟が、東芝に勤めていたので横浜に住んでいました。

釜石の叔母と横浜の叔父さんの奥さんだけが残っていた父方の叔父叔母でした。

釜石の従姉妹に電話があった時、北上の本家には連絡しないからと言っていたそうです。

私のことを「埼玉にはどうするの?」と聞くと、「自分で電話する」と言うので、釜石の従姉妹は私に知らせなかったそうです。

横浜の叔父夫婦は特別な存在で、大学に入って東京に出てきた時に本当にお世話になりました。

小さい時も一人で東京に出てきては、叔父が上野まで迎えに来てくれて何度も泊 りに来ています。

東京タワーも川崎球場での巨人の試合も山下公園も・・・叔父のお陰でした。

大学時代も叔父宅に泊まっては、日曜の度に工場の機械清掃のアルバイトをしました。

当時、かつ丼が150円の時代に1日働いて、1.000円もらえれば良いアルバイトでした 。

が、さすがは東芝で5.000円がもらえたという驚きのアルバイト。 

その代わり叔父の家まで、油まみれで帰るのでしたけど。

私が実家からの仕送りが10.000円でしたから、この5.000円は衝撃。

四畳半のアパートが、1月の部屋代が4.500円でしたよ。

叔父のお陰で学生時代には、すべての家電製品や家庭用品が揃っていました。

勿論金銭だけの話だけではありません。

大都会の中での、孤独な田舎モンには無くてはならないよりどころでもありました。

そんな関係で叔母や従姉妹とも、他の従姉妹や叔母とは違う付き合いでした。

従姉妹は60年後のいまだに、会うと私のことを「〇〇兄さん」と呼びます。

驚いたのは次女の方の従姉妹の結婚式の時です。

父と母が式に列席するので、田舎から出て来ることになり。

上野に迎えに出て、横浜の結婚式場まで送っていくと・・・。

私と妻の席も式場に用意されていて、無理やり列席させられたという珍しい経験。

何が珍しいって・・・皆さん礼服の中に、参加予定ではなかった私と妻だけが・・・カジュアルな平服での列席でした。

いろんなことが思い出されます・・・が、最後のお顔が見られなかったのが残念です。

従姉妹は多分、電話をくれたんでしょうけど・・・我が家は詐欺電話対策で家電は外していて、受話器を置いていないのです。

ネットの関係があって回線だけは生きていますから、ずーっと呼んでいたのに応答はなかったのでしょう。

叔父の娘たちは二人とも働いていますから、日曜にでも電話してみようと思っています。

釜石の従姉妹・・・電話で「元気なうちに会いに来てね」って。

釜石の叔母は94歳、いつ何があってもおかしくない年齢ですが、教師をしていただけあって未だに認知の症状もなく元気です。

私をおぶって面倒見てくれた叔母ですから、80歳になろうとする年寄りでも「かわいい」と思ってくれているんです。

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