遭難の本質みたり・・・巻機山
平田影郎
早朝の関越道を走行していても、まだ目的の山が決まっていなかった。湯沢インターを過ぎてやっと“巻機山しかないか”
登川と平行して清水部落に向かう。桜坂の駐車場はきれいに整備されていて、十数台のスペースがあった。料金小屋にはまだ人がいない。次から次と車が到着し、準備が整い次第登っていく。私も人の流れについてゲートで遮断された林道を登って行った。10分ほど歩くと分岐があり、左手はどうも沢で切れているようであり、右手はそのまま沢に沿って登るようであった。
看板1枚無い登山道も珍しい。オロオロしながら行ったりきたり探し回っていると、右手の道から多くの登山者が降りてきた。
堰堤まで行くと道がなくなるらしい。この人たちの後について一旦駐車場に戻ることにした。下り始めると右下方に私が車を止めた駐車場とは違う駐車場が見えた。車に戻り今度は違う林道をトイレの先まで行くと50台以上駐車できそうな広場があった。
ここが本当の桜坂駐車場であった。広場の奥には登山道の看板も設置されており、地元のボランティアが登山届けの提出を促していた。
「多くの人が間違えて向こうの道に迷い込んだ。“登山道はこの先”と判る表示をした方がいい」と話してみた。驚いたことに「どこを歩くかは登山者の自由で、こちらで強制するわけにはいかない」との答え。遭難の多い巻機山の本質を見た気がした。
呆れたものだ。論理のすり替えも甚だしく、まるでどこかの国の総理大臣だ。親切に表示することが強制することだと考える人には、何を話しても真意は伝わらない。清水部落にとっても塩沢町にとっても重要な観光資源だと思っていたが、地元の民宿にも泊まらない人の意見に貸す耳は持っていないという態度。この町では二度とお金は使わない。タバコ一箱、ジュース一本買ってやるものか!と憤ったが、よくよく考えると下調べもしない自分は不注意極まりない。それを棚に上げていうべき話ではない。本来、山は自己責任で行動すべきものである。下調べを怠った自分の責任である。事故が無くてよかったが、結局こうした不注意が遭難の本質なのだろうと反省した。下山後清水の民宿であっさりジュースを三本も買ってしまった。あまりの喉の渇きに隣町まで我慢はできなかった。
出発は30分もロスしてしまい7時を廻ってしまった。“きつい”と聞いていた登りは他の山の登りと一緒で、逆に言えばどの山でもこれぐらいはきつい。30分に一度立ち止まって休憩を入れ6合目に着く。展望台からはヌクビ沢が割引岳に駆け上がっていくのが良く見えた。天狗岩付近では沢筋を登っていく数組のパーティが確認できた。大きな声で合図をし合い実に楽しそうだ。
10時過ぎに樹林帯を抜けた8合目で大休止とした。多くの人が休んでおり、いかにも登山日和を実感した。
9合目のニセ巻機への登りは急登だがあっという間である。写真を数枚写し通過する。非難小屋の前には大パーティが休んでいたがボランティア清掃の人たちのようだ。
小屋の中は道具類が雑多に放置され、とても宿泊できる状態とは思えない。非難小屋としてはそれでいいのかもしれない。
快適に泊まれては変に利用されてしまう。またトイレもかなりひどい、クレゾール臭、ハエ、カ・・・日本の山小屋トイレ問題は解決できそうもない。早池峰のようにシートをそれぞれが持参するのも一つの方法ではある。
折角だから水場にも寄り道してみた。御機山と本峰のコルが源頭だ。登山者が入り込んでいるので不安ではあったが、あまりにもきれいな流れで思わず口に含んでみた。美味しい、甘い。会津駒の水場のような、ブナ林の恵みのような口の中に広がる甘さが堪えられない。ペットボトルの水を捨て、この沢水に入れ替えた。
沢筋には花も一面に咲き誇り心が和んだ。この水場は寄り道の甲斐があった。
最後の登りを10分ほどかけて頂上に着く。前後して登ってきた面々がみなここで食事中であった。水場に寄らずに来たようで、水場の話は興味を持って聞いてくれた。余分なボトルに入れた水を皆さんにふるまうと、大好評であった。
仲間うちからも下山する人が出始めたころ、地図を見ていた私はここより高い地点があることに気づいた。ザックを置いて行って見ると、そこにも“巻機山”の看板が地面に置いてあった。ここが本峰で最高点であるとその時やっと気がついた。
とすると先ほど下山した人たちは・・・まあ、最高点に立つだけが目的ではないだろうから・・・。でも私はしっかりと最高点を踏んだ。下山はヌクビ沢を遡ったパーティと一緒になり、色々な情報収集ができた。
温泉はなかなかチャンスの無かった六日町温泉にしたかったが、時間が遅くなり数軒で断られ、あきらめた。
苗場ではこの日ドリカムの野外コンサートがあった。大急ぎで苗場を通り抜け、猿ヶ京で汗を流し帰途についた。