岩手 西和賀・和賀川
故郷の川・・・早すぎた和賀川
北上川の支流和賀川は奥羽山脈のほぼ中央に座する和賀岳を源としている。したがって目指す和賀源流へは和賀岳登山道を利用することになる。
今回の釣行は3月に下見をしておいた。
今年この地方は雪が少なく、3月末の時点で北上付近の山々は僅かな雪を残すのみであった。この分だと5月末には入渓可能と思われた。
これ以上遅くなると人気の渓だけに他のパーティに先んじられてしまうとの思いも手伝って、5月釣行を決定したのだった。
5月21日の夜、鉄人の迎えを待って出発。途中、東北道佐野ICでタフマンと素人氏に落ち合い、一路岩手県和賀郡沢内村を目指した。
翌22日の朝8時に到着した。とりあえずスタンドでガソリンを補給しながら情報収集だ。
店主によるとまだ他見からの釣り師は見ていないとのこと。ヨシ!ヨシ!
和賀岳登山道は高下(こうげ)の登山道入り口の看板から一気の登りとなる。普通は平坦なアプローチの後できつい登りとなるが、この山道にはちっとも優しさがない。
ザックには装備・食料などを分担して詰め込み、一人20キロ程度を背負うことになる。
なんとなく「今日は不安だ」と思った。案の定、登りだして100㍍も行かないうちに“もう、いけない!”私は呼吸困難に陥ってしまった。どうしたことだろう。
自分でも信じられないほど身体が重いしドキドキもすごい。少し休んで歩き出してみたがやはりおかしい。
また休む。
岩に足をかける一歩、木の根に足をかける一歩と青息吐息で少し登ると“やはり、いけない”落ち着けば大丈夫だろうと思っていたが、もう1時間もこんなことを繰り返している。
「顔色が青い」と仲間が心配しだすと、さすがの私も初めての経験だけに不安になってきた。
いやー!それにしてもこの登山道は何時になったら終るのか?
私が休みばかり取っているので一向に高度が稼げない。今まで培ってきた自信が粉々に粉砕されてしまった。
少しは平坦な場所があっていいはずだ。周りは素晴らしいブナの原生林なのに、目をやる余裕は今の私にはない。みんなには申し訳ないし余りの情けなさで自分自身に腹が立つ。
「もうだめだ!俺を置いて行ってくれ」と、弱音とも腹立ち紛れともつかない一言が出てしまった。
「休めば大丈夫ですよ。一緒に行きましょう」と励まされ、思い切って20分ほど休ませてもらった。
よくよく考えてみると半年ほど禁煙していたのに、昨夜クルマに乗り込んでから既に一箱以上を煙にしている。おまけに雪代が相当入っていると思い、ウエィダーを履いたままこの登山道を登ってきた。よりによってこんな時に!
出発前にタフマンが「素人氏には登山道のことを話しますか?」と聞いてきた。この時点で私は登山道がこんなにキツイと知らなかったし、例え知っていたとしても私が最初に音をあげるとは考えもしなかっただろう。
大分呼吸が楽になり行けそうな気になって、ザックを背負って歩き出した。しかしやはり5㍍も登るともう歩けない。心臓はまた先ほどのように忙しく動き出し、今にも口から飛び出しそうである。
真夏の暑い日に日向につながれた犬のようにハアハアと・・・自分で吸い込む酸素では足りそうにない。身体中からは脂汗というか冷や汗というか、訳のわからない液体が噴出し続けている。
本当に情けなくて信じられないが紛れもない事実である。
とうとう見るに見かねた鉄人が私のザックを私から奪い取るように背負うと、上を目指して歩き出したのである。突然の出来事に全員唖然として言葉もなく鉄人の後姿を見ていたが、我に返った順にあわてて鉄人の後を追いかけた。
ガムシャラにこの急勾配を登っていく鉄人の背には2つのザック、合計50キロの荷が・・・まさに鉄人である。こんな男こいつの他にはランボーしか知らない。
お陰で私は自分の身体を運ぶことだけに専念でき、喘ぎながらもやっと高下分岐までたどり着く事ができた。さすがの鉄人もバテバテである。膝に両手をつき腰をかがめたまま、じっと地面を見ながら懸命に呼吸を整えようとしていた。
後に立っていた私は汗で濡れた背中に向って、“すまん”と呟いていた。
全員で写真を撮ったりしながら大休止をした後、生き返ったように出発した。高下分岐がこの登山道のほぼピークに当たる。ここから先の登りはたかが知れている。
尾根を数百メートル移動し和賀源流に一気の下りとなる。尾根筋とはいえ北斜面のうえ鬱蒼としたブナ林の中、登山道にはいまだに雪崩の痕と思える雪渓が残っている。気をつけながら慎重に乗り越えた。
しかし何か悪い予感がしてきた。ここですらこれだけの残雪では谷筋のそれは想像に余りある。尾根から渓谷へ降りていく途中にも雪崩の痕が登山道を遮断していて、うっかり足を滑らせると100㍍も滑落してしまう。
それにしてもこの下りの物凄さ、“まっさかさま”と表現できる。さっきの登りより更にきつい。帰りのことを考えるとウンザリしてしまう。ここまで来た以上谷を目指して下りていくしかない。
30分も下ると川音が聞こえてきた。また少し下ると誰かが「樹々の間から見える」と叫んだ。 あと100㍍も下ると目指す和賀源流である。「やっと来たぞ」また誰かが声を上げた。
しかし、私が樹々の間から見下ろした和賀は・・・予感的中・・・少し上流のゴルジュの入り口には、雪渓が大きな口をあけて我々を待っていた。
ガッカリしながらもほんの少し期待感を持って下りていった谷の上流には、先ほど見た雪渓の奥にも別の雪渓がのぞいているではないか。ここでこの状態では上に行っても雪渓が待ち構えているに違いない。
諦めるしか方法はない。釣りになるのは登山道の上・下流それぞれ100㍍ほどしかない。あんなに苦しい思いをしてここまでやって来たのに・・・。
さすがは奥羽山脈の渓、5月では無理だったか。ここまで来た以上“意地でも”と竿を出すが、僅かな距離では釣りにならない。
しかも雪の上には僅か数日前と思われる数人の足跡が残されていた。少々無理をしながら下流まで下ったタフマンが小物を数匹上げただけであった。
枝沢で7寸クラスが確認できたが、どうせ食べない我々は竿を出す気になれず、和賀の尺上は次の機会まで“おあずけ”
翌日、早々引き上げて他の沢に転進することにし、全員があの心配された急登に取り付いた。予定が変更になり余ってしまった食料を私の分まで背負わされた上に“和賀源流の尺上”の期待まで裏切られたショックも手伝ってか、帰路は素人氏がダウンしてしまった。
昨日と打って変わり余裕の私は、何か申し訳ない気持ちでいっぱいであった。
こんな時季でも和賀の懐は深い。季節のうつろいをふんだんに楽しませてくれる。渓谷に咲き乱れるシラネアオイやブナ原生林の美しさを満喫しながらの帰路であった。往復車で14時間、車を捨てて7時間、釣果ゼロ。
まっ、こんなこともあるさ、長い事やっていれば。
きつい登山道、手付かずのブナ林、谷を覆う大雪渓、シラネアオイ・・・一つ一つが心を動かしてくれた。
釣 行 者
タフマン・素人・鉄人・師匠
釣 行 日
97.5.22~24