27-2. 至仏山
平田影郎
至仏山はザックも登山靴もない、山になど全く興味のなかった私が、会社の慰安旅行のついでに幹事が企画した山行で、人生で初めて登った山である。
当時は百名山なども知らず、ただ夢中で登り、結果として後年挑む事になった百名山の一座目でもある。
それは1996年、22年前の私が46歳の時である。
2003年から百名山を意識して登り始めた時には、至仏山を初め会津駒や蓼科山など日本百名山を13座登頂していた。
1996年のこの登頂が一座目として、日本百名山完登までに18年を要したことになる。
前回は秋真っ只中で、至仏山から見下ろす尾瀬ヶ原の草紅葉が圧巻で、木々も真っ赤に焼けていた。
至仏山は花の百名山でもあり、花の時季に何としても訪ねてみたかった。数年前から計画していたが、何時も他の山行が優先され、常に計画表の片隅に山名が消えずに残ってしまう山でもあった。
1月ほど前の7月末、燧ケ岳と尾瀬ケ原に来たとき、本当は一緒に登頂するつもりだった。しかしこの日は途中で雨が落ちてくるあいにくの天候で、登頂を断念して帰った。
しかしいつまでも残してはおけず、1か月の休養明けの9月に決行。何時しか再踏に22年が過ぎ去っていた。
土日はマイカー規制があり、戸倉に車を置かなくてはならない。燧ケ岳登山の時、戸倉においてシャトルバスで入ったが実際には駐車場が空いていた。鳩待峠駐車場満車・・・という看板は出ていても空いてはいる。
そしてこの日は規制もない日だったので、鳩待峠まで車を持ち込んだ。かえりは時間に関係なく帰れる。
実際はバスの時間以外でも乗り合いタクシーが、人数が揃うと出発してくれるのでほとんど待つ事は無い。
何時も思うが鳩待峠まで車を持ち込んだ方が、戸倉の駐車料金とシャトルバス料金の合計より安い。
考えようだが・・・安全に運んでもらう方が楽か・・・自己責任でマイカーで来るか。やっぱりマイカーだ。
9月と言っても本来は夏。冷夏の年ではあるが、それでも9月初旬なのに鳩待峠の気温は10度に満たない。
駐車場の料金徴収係員はダウンの上着まで来ていてもなお『寒い、寒い』と言っていた。
私も長袖を着てスタートした。標高1.500㍍の鳩待峠は寒い。
さすがに陽が射し始めると気温は上昇し始め、気持ちの良い歩きとなる。しっとりと汗をかいた長袖は脱いでザックにしまう。
確り木道や階段が整備され、特段厳しい登りもなくコースについてのコメントは特に必要としないだろう。
時折樹間から笠が岳が見え始めると、反対側には小至仏と至仏山が見えてくる。たおやかで優しい表情の山並みで、実際にも危ないところなどはほとんどない。小至仏山の脇を通るとき、少しだけ岩の段差がある。
時季としては少し遅いものの、十分に花の百名山と言えるほどの花の種類を見ることができる。写真を撮りながら進む。今を盛りとシャジン(ツリガネニンジン系)が登山道を覆っていた。
薊も時季を過ぎた感はあるが登山道に沿って咲き誇り、十分に目を楽しませてくれる。ノアザミと少し色が薄いオゼヌマアザミだと思う。
尾瀬と言えば池塘。至仏山も池塘が点在する、高層湿原を抱えている。小山沢田代のクサモミジは圧巻で前回の山行で撮ったこの場所をコンクールに出したことがある。もちろん賞には程遠い評価だったと思う。
小山沢田代を過ぎると笠が岳への分岐になる。笠が岳の先には奈良俣沢の枝沢が流れているが、若いころはこれらの沢のイワナを釣り歩いていた。奈良俣側からだと林道にはゲートがあったが、工具を使ってゲートを開けて車で入ったりもした。この山域にはそんな思い出が沢山ある。
小至仏山に少しだけ岩場があるが、注意すればビギナーでも危ないというほどではない。この日も私より年上のご夫婦が登っていた。見た感じではあまり山をやっていない人のようだったが、十分危険な事なく歩いていた。
その先で女性の方を追い越すと、なんとそのご夫婦の娘さんと言うことが分かった。山頂では写真を撮りあったり、いつもの山談義。私のホームページに来てくれると言っていたが、来てくれたろうか?
山頂で珍しく40分ほど時間を使ったが、ご両親が山頂に到着したので名残惜しいがお別れ。
帰路では前回逃した小至仏山の山頂に立って見た。残念だがこの時は会津駒が雲の中だった。この後少し雲が払われて会津駒も裾野を見ることができた。
小至仏山を下ったところにあるベンチで昼食。おにぎりを食べながら尾瀬ヶ原と燧ケ岳を展望する。
僅かに尾瀬ヶ原の色がくすんだ感があり、もうすぐ秋なのだろうと・・・感慨にふける。