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旅あれこれ 東北8【玉川温泉をもう一度考える】

玉川温泉を考える

2008 秋

 もう既に8年も経過してしまいました。海のものとも山のものとも知れない・・・湯治などが本当に効果が期待できるのか・・・半信半疑で始めました。8年も通って何か目に見えて効果はありましたか?・・・と聞かれたら、はっきり言って分かりません。科学的には細胞の免疫力を高めると実証されているそうです。ですからそれを信じて通い続けています。また効果かがどうかという以前に対応を変える事が合理的ではなく・・・止める事が自分の健康にとって不安でもあります。

 ですから今行っている全ての手段を悩まずに続けて行こうと単純に考えています。

 何を期待して玉川に通うのか・・・それを確り持つ事が【玉川湯治】には大切だと思いますが、中々難しい事なのです。

 私たちなりに玉川湯治の効果のメカニズムを考えて、理にかなっていると信じている方法を実践するのですが・・・そうした考えを全く持っていない人も玉川に大勢押しかけてきます。最も『下手な(素人の)考え休むに似たり』と言いますから【理屈などわからない方がいい】とも言えますが、あまりにも乱暴すぎて笑ってしまう事さえあります。たとえば薬師神社の鳥居前にいると、必ず声をかけられます。

 『ここは何に効くんですか?』    すると・・・誰かに少し教えてもらって聞きかじりの知識を持っている人は

 『ここからは何とかと言うものが出てるんだって・・・メタミドホスだっけ?』 それは中国産食材の農薬!

 『どのぐらいここにいればいいんですか?』   少し調べてから来いよ!

 自分は何を期待してここにいるのかも理解しないまま集まってきているのです。すると一日前に玉川に来たばかりで昨日誰かに吹き込まれたばかりの人が、あたかも学者きどりで昨日聞いた話に尾ひれを付けて話し始めます。ですからそれはめちゃくちゃな話になってしまいます。こういう無責任な人種を私たちは【玉川博士】と呼んでいます。でもみな必死ですから真に受けてしまう人も少なくありません。根拠の無いめちゃくちゃな話を信じてかわいそうな場合もあり、そんな場合は博士がいなくなってからそっと教えてあげます。はっきり言いますがベテランで目的を確り持って玉川に通っている人の大部分は、自慢げな知ったかぶりの話はしません。なぜなら自分のメニューは【自分が最良の方法と信じているに過ぎない方法で、結果は自己責任だと決心して湯治しているから】なのです。それとは別に『こんなやつらに説明しても無駄だ』と知っているし、もう訳のわからない輩に説明するのが面倒臭くなっている人もいるかもしれません。

夕日に輝く峰
玉川薬師の鳥居の前でのラジウム浴

 たとえ『一週間いればガンが治る』と言う噂が広まったとしても、玉川温泉は全く困りません。湯治客が増えるのですから、素人博士にお金を払っても良いぐらいです。環境省から委託を受けて掃除を担当している会社に雇われたおじさんも、僅か数ヶ月で博士号を取ってしまいます。鳥居の前で岩盤浴をしているとこのおじさん、注目を集めるためにガンが治るといい始めます。それは治る人がいないとは限らないので許せもしますが、この人の場合は悪意があります。信じて頑張る人をお腹の中で笑っているのです。それは絶対に許せません。

 社団法人で【玉川温泉研究会】という組織があります。秋田大の先生や玉川温泉などで構成し、玉川温泉の効果などを検証しているのです。ここでは民間業者に委託し、年に数回放射線量を測定しています。この業者の担当者もいい加減な人でした。ミリシーベルトなのかマイクロシーベルトなのかも分からずに話していますが、サーベイメーターを持って放射線量を測定し・・・確りした機関から委託を受けて・・・と聞くと大部分の人はいい加減な男とは思わずに信じてしまいます。そして『こういう人がこう話していた』と話はさらに広がってしまうのです。
 
 薬師神社の鳥居前のラジウムでガンが治るとすれば、病院で放射線治療を受けたり、今流行の重粒子線でも当てたほうがはるかに効果があるはずです。またここでラジウムを被爆してしまう事が危険なら、環境省は既にこのエリアを立ち入り禁止にしているはずです。ドラマチックな効果に期待したり、期待感をあおったりすべきではないと思います。ただどんな組み合わせが良かったのか、あるいはタイミングなのか事実として治癒した方も存在するのです。科学的に立証しがたい事例があることを認めなければなりません。

硫化水素が作る芸術
彼方此方に硫黄のモニュメント
秋日和り

 でも結論としては【人それぞれ】ですから私が余計な講釈を言う事自体がおかしいのです。何も解らなくったって良いんです。その人が【安心】を買うことが出来たり【安らぎ】を覚えたり、単純に【良いお風呂だ】と思えるだけで十分なのです。秋の晴れた気持ちの良い日にこの大自然の中に寝転んで日がな一日を好きな本でも読みながら過ごす・・・至福の時ではありませんか。こんな境遇に感謝しないで幸福感を享受することなんて不可能なのです。何も期待しない・・・何も求めない・・・・・その域に達する事が出来たら、その時こそストレスから開放されるのでしょうから・・・。

 神様や仏様にさえおねだりしてしまう自分が、何時になったらそんな境地に到達できるのでしょうか。

 死ぬまで不可能でしょう・・・解りきった事でしたね。

 そんな事を考えている脇をまた一組の老夫婦が、変わり始めた木々の色に包まれながら大自然に溶け込んでいきました。

いい日旅立ち
近づく秋
夕映え
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