檜洞丸
平田影郎
昨年も予定に入っていたので、下調べは十分にできていた。再びビジターセンターに電話で確認すると『前夜に到着して泊まっている人が結構いる』という情報。それでは・・・と私も前夜から泊まることにした。
ビジターセンターへの道はすれ違いの出来ない場所が5か所ほどあり、合計すると1キロ弱が一台しか通行できない。
到着は6時ごろになっていたので幸いなことに通行車両がなく、すれ違い不能で戻されることは無かった。
明るいうちにと登山口の下見に行く。数組のパーティが戻ってきたので、それぞれに声をかけて情報ゲット。
とっぷりと陽が落ちて暗闇が辺りを覆う頃になって、最終バスがやってきた。乗客は先ほど話をした高齢男性一人だった。
この時期は丹沢も登山者がまだまだ少ない。
4時にはトイレに行きたくなって目が覚めた。そのまま支度にかかる。合わせて朝食のパンをかじる。
朝になってやってきた数人が、私より先に出発していった。クマよけの露払いにちょうどいい。
ツツジ新道の登山口はビジターセンターから10分ほどのところだった。
ポツリポツリとツツジが咲いているが、丹沢の丹沢たる所以はこんなものではないはずでちょっと寂しい。
ツツジと言うよりはまだまだ『ヤマザクラ』の方が目につく。
登山口から20分ほどの厳しい登りが九十九折れに続く。
これをクリアするとゴーラ沢出会いまでは水平歩道のようだ。が崖は切り立っていて侮ってはいけない。
ミツマタの花が白く斜面を覆っている。真っ盛りである。あまり存在を誇示する花ではないが、これはこれで一興である。
時折、アカヤシオが咲いていて、やはりこちらの方が花としては見ごたえがある。
この色が山肌一面に覆っていたら、それはそれは壮観であろう。残念だが真っ盛りまでには、あと1~2週はかかりそうだ。
さしたる苦労もなくゴーラ沢に到着。登山道は良く整備されていて、丹沢を訪れるたびに感心する。
が、このあとに頻繁に出てくる丸太を半分に割った梯子と言うか階段は私は苦手。どうも歩いていて安定性がない。
ツツジ新道はゴーラ沢から本格的な登りのコースに変貌する。鎖や梯子が至る所に出てくるし、至る所が痩せ尾根である。
この平らな板を使った階段は問題ないが・・・帰りにいやな予感が的中することになる。
丸太を割った階段を幾つも登るが、逆に帰りは幾つも下ることになる。
時折、振り返った視線の先には富士山が聳えていて、頂上に近づくにつれて増々富士の眺望を堪能。
当初から丹沢に挑むほどの脚力は不足しているだろうとの不安はあった。しかし登り始めると性格上ブレーキが利かず、頑張ってしまう。自分のペースを全く理解していない。
山頂に到着した時点で、既にバテバテ。
大きく休憩を入れる意味もあって青ケ岳山荘に下ってみた。小屋明けの準備なのか、作業に忙しく追われていた。
再び頂上に戻ると登頂者が次々に現れて、その中のベテランの一人に絶景ポイントを教えていただいて、大室山方向に少し下る。
富士を写すためのような絶好のポイント。登頂する方にはぜひお薦め。
青空の中に浮かぶ富士だったが、僅か数分で『笠雲』が。
ここからの下りの記述は・・・自分としてはあまり触れたくないのだが・・・参考としてしぶしぶ。
下りの丸太を割ったようなステップの梯子でバランスを崩し、しかもそこが坂だったために数メートルの転落で頭と足と腕を岩に強打。
いつもヘルメットを着用していた私が、この日はヘルメットを忘れ。
たまたま私が階段を下りるのを待ってくれている人がいて、気を失った私を助け起こしてくれる。
待たれていたのが良くなかったのか、事故はこんな時によく起きる・・・とビジターセンターの女性職員さん。
頭は切れて出血。だがどちらかというと擦過傷的で助かった。ぱっくりと切れて出血していたら、出血多量でお陀仏だったかも。
助け起こしてくれた方『スマホで写して見せましょうか?』と言ってくれたが、見たからと言ってどうなるものでもなく・・・。
幸いなのはザックがクッションとなって上半身に損傷がなかったこと。
腕は痛むが立ち木を掴むことぐらいはできる。
問題は足。この時点ではまだ歩けたから、自分で自力下山ができると判断。救助要請をお断りした。
その代り下山時にはどこかで倒れていないか・・・確認しながら下山するようにお願いした。
すれ違う数組のパーティにもお願い。
ゆっくり・・・しっかり下った。長い時間だったが、ゴーラ沢出会いに到着して、自力下山を確信。
ここからは水平歩道のようで、最後に下りが10分ほどあるが慎重を心掛けて下る。
強打した足が痛む・・・頭を打っているのでいつ意識を失うか・・・時間との競争のようだったが、無事ビジターセンターに到着。
心配をかけた皆さんが、きっとビジターセンターに問い合わせるだろうと思ったから『無事に下山したと伝えてほしい』と言づけ。
そしたら女性職員の方が頭の傷を見てくれて、出血は大丈夫そうという心強い所見。車を運転して埼玉に戻ることにした。
家に到着して・・・妻の第一声『頭にミカンが1個ついている』・・・と。それほどのたんこぶと出血だったようだ。
この時点でスムーズに歩くことはできなくなっていた、おそらく半月板が損傷していたに違いない。
これも妻が言うには『何処がひざか分からない』だったそうだ。
頭は休日でも昔人間ドックでかかっていた病院が見てくれることになって、すぐに駆けつけてCT検査。
硬膜の内外に出血は無いとの診断。足は整形ではないから・・・と診てもらえなかった。
1か月後にもCTで確認するも問題は無かった。が今でもみかんの皮ぐらいの腫れが頭にくっ付いている。
そして膝は・・・今でもうっかり膝をついてしまうことがあるが七転八倒するほど痛む。
歩いてはそれほど傷まないし、ゆっくりなら走ることもできる・・・が床に着くことはできない。
こんな足で事故の一週間後に台湾旅行してきたのだから、ひょっとして私は鉄人なのかもしれない。
下山中に山桜に目をやる余裕・・・ゴーラ沢までの下りが勝負で・・・くれぐれも自力下山が出来て良かったなあ。
今年の丹沢の遭難者の数にカウントされずに済んだ。