山形 朝日・大桧原川
朝日の谷にどっぷりと・・・
どうも初めて会う様な気がしなかった。鉄人から事ある毎に聞かされていたから、既に何度も行動を共にしている感じがしていた。
前夜「朝日に行こう」と私が言うと、鉄人は早速その男に「朝日だよ」と電話を入れた。山形道月山ICに着くと、その男の車“エスクード”を見つけて鉄人が「いた!いた!」
夕べ鉄人が電話を入れたとき出張先の長野にいたのに、朝の7時にそのまま月山に現れた男・・・これが“博士”との初めての出会いであった。
1日目
朝8時を回っていて何処に行っても確実に先行者がいる。博士がどれだけ“山慣れ”しているのか分からないが、鉄人がサポートすれば大桧原川でも大丈夫だろうと厳しい沢を選んだ。
そんなには入渓者がいない筈だ。6年前に会長と一度だけ入った事がある。
源流部は100㍍も聳え立つゴルジュに遮られ、唯一の入渓ルートは切り立った断崖の斜面をへつる【ナタメ】があるだけだ。鉄人と「一遍連れて行く」と約束していたから、丁度良いチャンスが到来した。
朝日山の家】の志田さんか教えてくれたルートを足をすくませながら、何とかたどり着いた記憶が甦る。
その時志田さんがサラサラと書いてくれたラフな地図は、初めての我々を寸分も違わずに源流部に導いてくれた。
朝日の山なら目を瞑っても歩けるほど自分のモノにしているのだと納得させられた。
林道に入ると1キロほどで山抜けがおきていて、堰堤までくるまでいけない。残念だがここで車を捨てた。逆に余り釣り師が入っていないかも・・・と期待が膨らむ。
ナタメを歩き始める。博士にとってはこんな道とはいえない道を歩くのは初めての経験だろう。
数200㍍も進むとナタメは最初の沢で一旦途切れる。ナタメを見つけて入ってきた者でもここで道を見失うことになる。
ここは沢を5㍍ほど下り対岸の壁をよじ登るとまた道が現れる。このことを知っていないと大桧原の源流に入る事はできない。こんな箇所が途中に5~6箇所ある。50㍍ほど絶壁をへつる。
足の真下百数十㍍に大桧原の流れが見えた。緊張で足が振るえ体が強張っている。つま先がかかっているブナの森の腐葉土が崩れたら、私の身体は宙を舞いながらものすごい速度のまま河原の石にたたきつけられる。何とか無事に通り過ぎた。
ナタメは再びブナの中に吸い込まれる。記憶ではこの先にもすぐ問題の箇所があるはずだ。数年前まで雨量観測計が設置されていたので九十九折れの道があるはずだったが・・・見つからない。
記憶を辿って急斜面のブナの森を上に下に30分ほど探し回った。しかしどうしても見つける事はできなかった。【後日地図が見つかり確認すると一旦下る処だった】
ナタメは見失ったが方向は判っているので、急斜面を突破して進もうとしたが・・・すぐに無理だと解った。山ごと動いたような山抜けだ。
斜面に生えているブナが広い範囲でなぎ倒されたように、てっぺんを谷底に向けていた。とても危なくて進めたものではない。初めてのメンバーもいることだし、あっさりと諦めた。
これでは地元の人すら入ってはいないだろう。鉄人・博士に朝日の面白さを体感してもらおうと思ったが、肝心のルートを忘れては・・・話にならない。
帰りは来たルートを外れてしまい大分下方を通っているらしく、さらに厳しいへつりになってしまった。お互いにザイルで確保し合いながらの帰路であった。やっとの思いで堰堤まで辿り着いた。
ひと休みの後、堰堤の下流を釣りあがることにして博士が竿を入れると、いきなり第一投で尺上がきた。そしてポイントごとに良型が上がってくる。
我々の目的ではないが釣果だけを言うなら奥まで行かなくても十分楽しめた。これが朝日である。
釣りに夢中になっているといつの間にか鉄人がいない。探していると河原にしゃがみこんで何かを手にとって見ている。
「これ、金(きん)じゃないですか」と金色に光る砂状のモノを差し出した。さあ大変だ。全員で狸の皮算用が始まった。
「金だったら朝日に釣り用の別荘を建てよう」
「カナダで会の釣大会をやろう」
話がエスカレートするにしたがって実しやかな話も飛び出してくる
「平泉の金はこの辺りから運ばれていたと聞いた事がある」
持ち帰って分析した鉄人の後日談
「残念ですが黄銅鋼でしたよ」
「独り占めはダメ」
時間も時間なので根子川にまわった。源流部は諦め最近出来た堰堤の上流部に竿を入れていると、“ガツーン”といういかにも大物を予感させるあたりが伝わってきた。
大桧原のへつりでくたくたになり大岩の上にどっかりと尻を落としたままやりあっていたが、ヤツはビクともしない。
少しも慌てた風がなく上流を向いたまま悠々と泳いでいる。暫く座ったままやり取りしていた。2人もようやく気がついたようだ。
早く決着をつけようと思い私が仕掛けた途端、0.6のハリスがプチンと切れた。流芯を横断させようとテンションをかけたのが悪かったようだ。とてもそんなレベルの型ではなかったようだ。朝日は・・・とにかくすごい。
この日は前に泊まった時の料理が忘れられず【渓声庵】に泊まろうと思っていたが断られてしまった。仕方無しに田麦俣まで移動し【田麦荘】に宿泊した。民宿としては一寸高めの8.500円。
ところが出てきた料理で納得、山菜からステーキまでの大満足だ。鉄人はたらふく食べた後だったので最後のステーキを3人分だと思っていた。ところが後から2皿出てきて、結局一人一皿と判ってビックリ仰天。
しかし【渓声庵】の山菜のもてなしはこんなものじゃない。その料理を味あわせたかったなー。
源流がダメ、当てにしていた山菜料理がダメ、1日目はことごとく叶えられなかった。それでも満足してもらえたのなら“朝日のスケールは壮大”と言う事だ。
2日目
朝食前三人で多層民家見に行った。白川郷とは比較にならないが昔日の名残りがある。昔を偲びながら心地よい冷気の中で、鉄人が容れたコーヒーを楽しんだ。
朝食後、田麦荘の小母さんが新聞に釣師の死亡記事を見つけて持ってきてくれた。急な増水に怖くなって無理に渡床しようとしたに違いない。
我慢する勇気があれば・・・減水するまで何日でもジッと待つ事が不安になったのだろう。他人事ではない。これも朝日である。
あっちの川もこっちの沢も楽しみたい欲張りな我々の今日の先は八久和川。しかし今日もまたミスをしてしまった。
地図を持っていない上に下調べもいい加減だったから、八久和ダムまで行っていながらバックウォーターに向わずに、ダム湖に沿って下流に向ってしまった。
管理事務所まで行ってやっと気がつき戻って林道に着いたときには10時になっていて、本流に入るには中途半端な時間になっていた。仕方なくバックウォーターに一番近い横倉沢に入ることにした。
ゴルジュの沢であったが水量は丁度よく、ポイント毎に魚がいた。小滝を3つ越え魚止めと思える滝で竿を収めた。車に戻ると既に昼を回っていた。
明日はスーパー林道で帰ることにして今晩は西大鳥川沿いに移動することになったが、とりあえずここまで来たら本流を一目見てみたい。釣りを始めて以来私にとって八久和は聖地である。
実力を養いいつかは行ってみたいと、長年思い続けてきた。もうチャンスは無いかもしれないと思うといたたまれず「5時に車に戻るとして3時半まで行ける所まで行ってみない」と申し出ると、二人は「もちろんですよ、行きましょう」と快諾してくれた。
途中、沢水でソーメンを茹でて遅い昼食をとった。三人は深い森の香りをいっぱいに吸い込みながら、森の奥へと続く辿路を進んでいった。突然バタバタと大きな羽音をたてて、イヌワシか大鷹が森の奥へ飛び去った。悠久の大自然、朝日の真髄を目の当たりにした。
小一時間も進むと木立が切れ初めてゴルジュの上に立っている私の足元に、たおやかな八久和の流れを認める事が出来た。いきなり飛び込んできた流れを目にして三人は一斉に感嘆の声を上げた。
“やっと来れたんだ”そんな思いが脳裏に広がり、訳のわからない感激で胸がいっぱいになった。本当に永年夢に見続けてきた俺の聖地にやっとたどり着いたのだ。
竿を入れる事はなかったがもう十分である。圧倒されるほどの大自然・・・八久和を再び訪れる事が出来るのだろうか。
今夜の泊まりは西大鳥ダム近くと決めてスーパー林道の入り口まで来ると、またしても崖崩れで通行止めだ。
今回は本当に祟られっぱなしである。酒田を回っても長井を回っても3~4時間は無駄になってしまう。通れないことはないだろうと我々は無理に林道に突入した。
そして10㌔ほど進んでかじか沢付近でキャンプを張った。既に陽が落ちとっぷりと暮れた西大鳥の流れから数尾のイワナを釣り上げ、鉄人得意のイワナ汁。
既に買い込んであったビールをしこたま飲んだ私は、博士のテントの中に身を横たえると枕に頭が着くのも知らないほどあっけなく眠りに落ちていた。
夜中に博士がテントを出て鉄人と何かを話していたが、再び私は眠りに引き込まれていた。
翌朝目を覚ますと博士がいない。今考えるときっとイビキがうるさかったのだろう。鉄人は車の中でブヨに攻め立てられやはり眠れない一夜となったらしい。
顔・首・足そしてTシャツをたくし上げると腹まで・・・100箇所以上はやられている。これがどれほど大変か、経験した者にしか分からない。まあ、2週間はダメだろう。
3日目
朝食の後、私たちは枝沢で釣ろうと決めて村上に向って車を進めた。そして名前も判らない沢で午前中いっぱい遊んだ。
博士は始めてえさ竿でのテンカラに挑戦、鉄人はテンカラ、私はエサでとみんなが思い思いに楽しんだ。そして2段20㍍の滝で引き返した。
3日間での釣果は数えられないほど相当な数。大桧原・根子・横倉・西大鳥そして名も知らない沢。
山を歩き、川を遡り、釣りをして夜を楽しんだ。その上夢にまで見た八久和の流れに心を震わせる事が出来た。これ以上何もいりはしない。
博士とは新発田で別れた。鉄人は「博士はこの後何処かによって釣りをしますよ」と言っていたが、後日博士に確認すると「何処にも寄らずに帰った。
朝日の感激をそのまま持って帰りたかった」だと・・・。泣いたねーそのセリフには・・・。
帰路のスーパー林道でのこと、通行止めを忘れていた我々はうっかりそのまま村上に向った。
工事中の現場監督は絶対通さないと譲らない。しかし関西系の博士はこの難局を見事に切り抜けてしまった。実に4時間は得をしたはずである。
何も思い通りにならない3日間、アクシデントの連続だったのにこんなにも楽しめる朝日。
どっぷりと朝日の谷に浸った満足の3日間。朝日には悠久の流れがある。
釣 行 者 博士・鉄人・師匠
釣 行 日 00.7.20~22