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旅あれこれ 東北21【蝉が鳴かない立石寺と三春デコ屋敷】

蝉が鳴かない立石寺と三春デコ屋敷

2000/02/11~12

 久しぶりに娘に会ってきました。我が家が信仰する真言宗智山派、棚倉町の徳善寺(山本不動尊)で護摩を焚いてもらうため家族で御参りしてきたのです。今年娘は国家試験を控えた勝負の年です。

 無事御参りが済んだので家族で温泉に泊まることにしたのですが、このあたりにはいい温泉はありません。移動距離は長くなりますが滅多に無い機会ですから、山寺に御参りし天童温泉にでも泊まろうと衆議は一致したのでした。山形に向かいます。

【山本不動修験場】
【アルビノ・・・虹鱒は仏様の使い】
【参道の仁王像】

 山寺(立石寺)は三代天台座主 慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれた古刹です。みちのくには円仁によって開かれた名刹が多く残っています。松島の瑞厳寺、平泉の中尊寺・毛越寺などがそうです。

 どんよりとした空からは今にも雪が落ちてきそうな雰囲気で、日本海のあの重~い鉛色の空と共通するものがあります。道路には雪が無いもののあたり一面は未だに冬景色です。
 
 根本中堂から石段を登って如法堂に向かいます。ところが1000段を越すと言われている石段は圧雪を通り越し氷に覆われた状態・・・ツルツル滑って・・・転倒しそうでロケーションなんか目に入る余裕がありません。滑らないように必死で・・・慎重に・・・もう汗まみれです。下着はぐっしょりと濡れ頭からは湯気が立ち上り、拭いても拭いても流れ落ちる汗。

 念願の如法堂に立ちました。山寺は奇岩の霊窟とマチュピチュを髣髴させる天空の遺跡が、独特の異様な世界を作っていました。少し休んで汗が引っ込むと今度は逆に濡れた下着が体温を奪い去り、身体の芯から冷やされるような寒さが襲ってきました。そそくさと帰路に着きますが下り階段の氷は上りより数段恐ろしく、妻も娘も二度ずつお尻を打ち付けました。二人の手を握りっぱなしでした。

 一秒でも早く車に戻りたいのですがJRのキャンペーンで見た五大堂には寄らなければなりません。

 ここからは山寺一の景観が広がり、『これを見ずして山寺を語るな』とまで言われているからです。この時季はモノトーンの世界が広がり、ことさら素晴らしい眺めでした。

【氷の石段】
【雪の山門】
【天空に舞う納経堂】
【俯瞰する風景はモノトーン】

 着替えの下着を買い求め、今夜の宿を探します。今になって考えてみれば先に宿を探しておくべきでした。頼みの天童温泉は僅か一家族分の部屋も提供する事が出来ず、上の山温泉までが満杯状態でした。探し廻る間にも娘の咳き込みはどんどんひどくなって行くのでした。

 仕方なく毎度御用達の郡山・月光温泉に電話を入れると、時間が遅いので食事は出せないが一部屋空いているといいます。早速その部屋を確保して一路、山形・天童から福島・郡山に車を走らせました。その道のりの呆れるほどの遠さ・・・到着は21時を過ぎていました。恐れ入った行動力・・・なのか、呆れるほどの計画性の無さ・・・なのか。

 月光温泉のお湯に浸かってやっと生き返りました。娘の風邪が完治したのは4月の末でした。翌日は三春のデコ屋敷に向かいます。デコとは張子と言う意味のようです。年賀切手の《張子の虎》は三春の張子がモデルだとして特に有名です。この文化はどうして生まれたのでしょうか。痩せた土地でまともな作物も取れないお百姓さんたちが、生き延びる手段として僅かな収入をえるため達磨や張子の十二支などを作ったのが始まりのようです。伝承された技術は新たな創造が加えられ、文化財として認められるまでになりました。

 記念にジグソーパズルのように木組みで作られた干支を買ってきました。この作家は亡くなられているので値段が上がりますよ・・・と薦められましたが、そんなつもりで求めたわけではありませんよ。文化の伝承に少しでも役にたてれば・・・と本心からそう思っただけなのです。

【三春デコ屋敷】
【何故か違和感を覚えない】
【かつては生活の手段】
【文化財的価に】
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