どれがほんとの・・・鳥海山(新山)
平田影郎
今年3回目の妻の玉川での湯治。その送迎にあわせての山行である。妻を玉川に送り届けた私は、妻との会話もそこそこに玉川温泉を後にして乳頭温泉郷へと向かった。
どの温泉にするかずいぶん迷ったが、やはり何度もチャンスがありながら叶っていない黒湯を最初にすべきだ。
土曜とあって混んではいたが運良く駐車場に空きスペースがあり、スムーズに黒湯に浸かることができた。
目的を達成した後、鳥海登山口目指して出発した。あまりの心地よさについつい長湯になり、すでに4時なろうとしていた。
田沢湖から象潟まで延々と走り続け、日がとっぷりと暮れた8時ごろになってやっと到着した。考えてみれば秋田県の最北端から対角線に最南端への移動であり、これは当然の結果であったのだが・・・。
計画では八幡町側からの登頂だったが、回り込むためには更に数時間を要しそうで急遽の変更である。
鉾立には10台も駐車されておらず、しかも早々と眠りついているようで、人の動きが無く真っ暗で寂しいものであった。
広場の端に移動し見下ろせば象潟の夜景が実にきれいで、海には漁火も見ることができた。しばらくさまざまなことを考えながらボーッと見入っていたが、明日の行程を思い出しあわててトイレの照明を利用して夕食をとりシュラフに潜り込んだ。
翌朝目を覚ますとすでに5時半、急いで準備をして朝食をとらずに出発した。今日は登頂・下山後500km以上も走行して家まで戻りつかなければならない。時間を無駄にはできない。
黒湯に浸かったせいか心地よい眠りで体調はすこぶる良い。先週の南アの疲れも全く残っていない。
むしろ体は痛めつけられることを求めているようですらある。
賽の河原をぬけて御浜神社まで1時間で到着した。たいした登りではなかった。しっかり夜も明けた鳥海湖は朝の靄に覆われて幻想的であった。
御田ガ原で朝食をとった。ここから長い長い登りになる。それに備えてエネルギー源の補給は重要だ。
とはいってもいつも通り喉を通りやすいサンドイッチ程度だが・・・。
御田ガ原からの下りで単独行の女性に会った。声をかけると、昨日登って下山したが最後にもう一度鳥海を間近で見るため今日もここまで登って来たと言う。
確かにここからの鳥海は目の前でありしかも覆いかぶさるようで、そんな気持ちがよーく理解できた。
七五三掛を過ぎて分岐から外輪山を行くことにした。常に新山を望みながらの登りでロケーションを存分に堪能できる。
新山の頂は時々ガスで覆われて見え隠れ。登頂まで機嫌よく待っていてくれればいいが・・・。
文殊岳・伏拝岳ともに山頂の表示が無くいつの間にか通り過ぎてしまった。ただそれぞれピークがあったので、あそこがそうなのだろう想像するのみである。
滝の小屋からのルートを併せ更に七高山も過ぎて外輪山の一番端まで行って見た。すでにガスが湧き出していて下界の眺望は得られなかったが、新山頂上の人々は手を伸ばせば届くぐらいに見えた。
七高山に戻りショートカットのためガレ場を下りゴーロ帯を登った。そしてとうとう新山頂上に立った。
大岩が折り重なった頂上は何人かがザックを降ろして休むと、足の踏み場もないほど狭いものであった。
ここでもまた数人と友達になり、帰りは一緒に下山しようということになった。
頂上でワイワイやっていると誰かが「ここより向こうのピークが高いのではないか?」と言い出した。
早速私を含めた何人かが登ってみると、何とそこにも“鳥海山頂上”という看板がおいてあった。
最高点と思えるピークは日本海側を見渡せる筈だが、心配したとおりガスが遮っていて全く眺望は無かった。
胎内くぐり”をして神社へと下る。参拝をすませここからはお釜の中道を下る。登ってくる人の列はどこまでも切れることが無く、少し図々しく行動しないとずっと待つようになってしまう。
さすがに人気の百名山、朝早く出発して正解であった。
中道では紅葉が始まっていたがさほど綺麗なものではなく、むしろ七五三掛あたりの日当たりのいい場所が、緑・赤・黄の綺麗なコントラストを描き出していた。
中道の雪渓が残る場所で昼食をとり、ここからは一気に下った。同行する氏に七五三掛(しめかけ)・御田ガ原・御浜神社・賽の河原でそれぞれ「休みますか?」と尋ねたが、氏は「おまかせします」と言うのでとうとう休まず鉾立まで歩いてしまった。
雨が落ちてきて一時はどしゃ降りになったのが鉾立に戻りついた後で、事なきを得たのは運にも恵まれたようだ。
鳥海ブルーラインを山形側に下る。この頃には陽射しも戻り眼前に広がる日本海は一面にまぶしい輝きを放っていた。
この日は酒田バイパスの開通日とあって道はかえって大渋滞、新潟着が8時を廻っていた。これで温泉に寄ったら今日中に帰れそうも無く、諦めて帰途に着いた。
ちなみに目的の湯は強アルカリの“ざぶーん館”だったが、次の機会に楽しみを残した。