キトラ古墳の壁画【奈良・明日香】
2019/10
道の駅で知り合った高崎の方が教えてくれて・・・キトラ古墳の壁画を公開していると知りました。
急きょ見学することにしましたが、ネットで調べると事前予約制と有ります。
当たって砕けろ・・・で翌朝、一番で行って見ました。
そしたら朝一番の組は予約が入っておらず、予約していない人が私たち夫婦を含めて4人が見学できました。
次の回には団体のバスが数台入っていて・・・思い付きの行動としては実にラッキーな結果でした。
8時前に到着してしまい、駐車場はチェーンがかけられていて入れず。
朝の通勤時間帯の路駐は気が引けます。
でも係の人が8時半前にチェーンを外して入れてくれました。そしてトイレのカギも開けてくれて・・・。
駐車した後オープンの時刻まで間があったので、先に復元された古墳を見に行きました。
日本中に樹木で覆われたこんな形の丘陵が沢山あって、それらのうちに大発見につながる墳墓があるかも・・・。そんな感じのこんもりした丘でした。
時間になって四神の館に行くと係の人が待っていて、チケットを購入を促され、1回目に予約がない事を聞かされて運よく朝一番の回での見学になりました。
古墳の中に入って見るのかな?と思っていたら、壁画は平成になって取り外されていて空調管理の行き届いた部屋に展示。それをガラス越しに見学するのでした。
一組が15分だけの見学で、壁画と天文図などを理解するのですから忙しい。
時間を過ぎると次の組の見学になるのです。
石室の西の壁に描かれている白虎は、イマイチお腹のあたりの白色が退化していて鮮明さに欠けます。
1番しっかり残っているのは、南壁の朱雀だそうです。 玄武も次にいい状態。
東の青竜はほとんど不鮮明だそうです。
玄武の壁画が発見されたのは、高松塚古墳に次いで国内2例目だそうです。
年に数回公開され、4回訪れるとすべて拝観できるわけですが、奈良まで数回は無理です。
一つだけでも観る事が出来て良かったです。
『青春』の謂れの薀蓄です。
土俵などでも使われる「青ぶさ」というような方角の言い方ですが・・・。
中国や韓国、そして日本でも相撲中継などで御承知と思いますが、方角を「色」で表す文化がありました。青房下に寄り切った・・・とか白房下に押し出したとか・・・あれです。
4つの方向・・・玄武とは黒色を意味し方角は北で、朱雀は赤色で方角は南で、青竜は青色で方角は東で、白虎は西の方角です。
そして季節は東の青の方角が春、南の赤が夏、そして西の白が秋、黒の北が冬となります。
東の青竜はとうぜんに「竜」、南の朱雀は「孔雀」、西の白虎は「虎」、黒の玄武は「亀」をあらわしてます。
皆さんも「青春」があったと思いますが、東は陽が出る方向で、春は芽吹きで眩い時代、そして青い龍のように勢いがあって天にも昇る人生の一時期。 ですからこの時代を青春というのです。
キトラ古墳は【亀虎古墳】ともあらわされて7世紀から8世紀のものと言われています。
壁画と併せて石室からは男性の人骨も発掘されています。
年代的に天武天皇の皇子か側近の高官ではないかと言われています。
壁画は四神のほかに12体の獣頭人身も描かれていますが、判別できているのは6体のみ。
これもかなり色が退化していました。がっ勿論国宝に指定されています。
そして中国式の天文図も石室の天井部分に描かれていて、この時代に宇宙の解明が進んでいたのが驚き。
赤道や黄道も示されているモノとしては、世界最古の天文図だそうです。
歴史にはあまり詳しくなく通り一遍の知識だけしかありませんが、一度見て置いて良かった。
この付近には高松塚古墳や飛鳥寺、丸山古墳など・・・史蹟の宝庫。もう一度来ないといけませんね。
今回残した薬師寺・興福寺・唐招提寺・春日大社などを見学に着ますから、併せて訪ねたいと思います。
整備後のキトラ古墳。壁画は撮影禁止で写真のアップはできません。