昨日の答え
東洲斎写楽は阿波藩(蜂須賀家)のお抱え能楽師・斉藤十郎兵衛だったそうです。一時は葛飾北斎や喜多川歌麿、歌川国芳・・・はては谷文兆や十返舎一九まで、十数人が候補に挙がっていました。斉藤も候補であったのですが、実在していたことが確認されていなかったので候補から落ちていたのです。また一介の能楽師にあれだけの絵が描けたのかという疑問もありました。最近になって実在していた記録が出てきたことから、現在では最有力の候補になっています。面白いのは蜂須賀藩のお屋敷があったのが【八丁堀】で、東の洲とは当時【築地】や【八丁堀】を意味していたそうです。八丁堀に【写楽斎】と号する能楽師がいたとはっきりとした記録があり、...