ブログも含め、ごゆっくりお楽しみください。

美濃路の中津川宿

中山道

前日は妻が痛む足を引きずりながらも、何とか落合宿に到着しました。という事は途中に木曽路と美濃路の境界石碑があり、それを越えましたから美濃路に到達したという事です。
あまり知られていませんが・・・妻籠や馬籠などのメジャーナ観光地が注目される中で、我々街道歩きの間では落合の石畳は良く知られた存在です。私も早く見てみたくて急いていました。

前日は石畳のこの下りが妻の足痛に追い討ちをかけたようですが、雰囲気はずいぶん楽しめました。如何にも街道歩きを堪能できて、まるで美濃路到達を祝してくれているのでしょう。でも苦しんだ妻には私の喜びの感情はナイショです。

長かったです・・・木曽路は。4年ぐらいかかっていると思います。昨年は妻の腰椎ヘルニアで一区間しか出来ませんでしたから。本来なら遅くても昨年に通過したはずなのです。
写真は馬籠峠の途中にある【立場(たてば)・・・昔の休憩所のようなもの】で、イノシシの話をしてくれたオジサンです。

二日目は道の駅を7時に出発し、昨日の木曽路口のバス停には7時半頃だったと思います。日曜でしたから農協の駐車場を使わせていただきました。住民の方が教えてくれたのです。でも勝手においた行為は免責にならないですよね。すみませんでした。

落合から中津川まで1時間弱で歩きました。途中、峠よりもキツイのでは・・・と思える【与坂】をこえます。2回ほど大きなアップダウンがありましたが、妻の足は何とか持ちこたえていました。足の痛みを考慮しつつ泊まりで連チャンできるメリットを生かす為、次の宿【大井】を目指す事にしました。

目の前にアピタがあり、広い駐車場が『どうぞ利用して』と言ってくれています。
中津川駅に行って帰りの電車の時刻表を確認し、ついでに地図を貰ったりバスの時間を見て戻ってくると、妻が『ここに車を移動させよう』と言います。念のため確認しておいた馬籠行きのバスは9時5分発でしたが、時間を見ると既に9時を指していました。

大きなザックに雨具など沢山詰め込んで重いのに・・・そのザックを背負って駅までダッシュです。アピタから駅までの距離を皆さん知りませんよね。500㍍はあると思いますが重い荷を背負って500㍍を5分で走ったんです。もちろん間に合いました。

ご不審のある方・・・どうぞやってみてください。辛いけど出来なくはありません。還暦を過ぎた人としてどうか・・・という疑問はありますが。ちなみに車を取りに戻った農協の駐車場には他県ナンバーの車が数台ありました。考える事は一緒なのでしょうか?

アピタに車を移動させ再びスタートですが、中津川宿も良い雰囲気の街並みが残されていました。うだつのある街並みなどが確り残されていて・・・これを見るのが楽しくて歩いているようなものです。

妻籠・馬籠などの観光地を見るのも、映像が脳に焼き付いて確かに旅の記憶が残ります。
しかし・・・私に言わせると・・・点でしかない気がします。私たちが歩いている街道歩きは・・・いわば・・・線なのです。

誰にも知られずひっそりと保存されている小さいながらも雰囲気のある屋並み、道端にある常夜灯、古人が夫婦の末永い幸せを願って建立した道祖神、開けた峠から望む雪を戴いた山並み・・・・・きりがありませんが、一つ一つ繋ぎ合わせる旅が街道歩きです。

昼近くになり美乃坂本駅で終了としました。また妻を駅に待たせて置いて私がアピタに車を取りに行って来ました。電車で一駅ですが・・・歩いては相当のダメージでした。
帰って妻がダウンしたのは当然の成り行きで、特に今回は雪の山道でしたからストックを使ったため、腕がパニックになっているようです。

それでも韓流を1時まで見ている妻は・・・何者でしょうか。40年連れ添っていまだに理解していません。

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