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悲しい知らせ

雑感リタイヤ生活

今日は少し長くなります。

新年になって10日ですが、今日も2通の年賀状がありました。

2通ともに私からは出していない方からで、おそらく3が日には用事が立て込んで5日ごろに発送したものでしょうか?

それでも来た以上は返事を書かないと、礼を欠きます。

練馬区の上石神井から届いた1通は、まさにそんな年賀状でした。

昨年の年賀状を失礼して申し訳なかったと言うことが書いてあります。

年賀状を極力やめていこうと考えてはいるけど、どうしても欠かせない方もおります。

私は20歳代の時に塩野義製薬系列の会社で働いていたのですが、その時のお得意先のドクターなんです。

先生と奥様と田辺製薬(現三菱マテリアル系)に努める大熊氏と私の4人で、麻雀をするのが先生の楽しみでした。

先生と言うよりは・・・楽しみにしていたのは奥様だったかも。

時には河口湖の別荘まで車を飛ばして、夜通しマージャンをしたのでした。

遅くまで診療してからの麻雀ですから、食事の準備は奥様のお姉さんが作ってくれて・・・食べながらポンとかチーとか。

お姉さんはフランス料理などを極めた方で、当時の私は観たこともないような料理がテーブルに並びました。

車が大好きで・・・BMWに颯爽と乗る先生の姿が、瞼の裏に焼き付いてます。

先生が開業するときから私がお手伝い・アドバイスして、先生からも奥様からも絶大な信頼を頂きました。

私がお願いする薬は全部買ってもらえました。

家内が具合が悪い時に私は娘を会社に連れて行きましたが、そのまま連れて訪問したことがありました。

そしたら奥様は特に可愛がってくれて、大きなぬいぐるみを娘にプレゼント。

娘は相当大きくなるまで、そのぬいぐるみを放しませんでした。

娘は私立中学受験で【四谷大塚】と言う塾に通ってましたが、正会員に昇格すると名簿に成績順が乗ります。

他の患者さんのお子さんの名簿から、娘の名前を探しては応援してくれていました。

「なっちゃんは〇▽◆だったね!」って。

我が娘の成長を一緒に見守ってくれていたのです。

製薬会社の仕事から離れても、我が家が一番信頼する先生でしたから、何かあれば必ず先生に相談。

娘がドクターの道を選んだのは、渡辺先生の人となりの影響が大きいのです。

奥様の名前は〘由里子〙さんですが、奥様を「ゆうさん、ゆうさん」と呼んで、とても大切にしていました。

その、ゆうさんからの年賀状は「一昨年の12月に主人が亡くなった、それで年賀状を失礼した」というものでした。

享年87歳、人生100年時代にしては早すぎる死。

驚きと悲しみとで茫然自失です。そして昨年の届かなかった年賀状に納得したのでした。

でも1年越しでも礼を尽くす、いかにも奥様らしい対応と感心。

本来なら忘れているでしょう・・・私ならなおさら。

前の会社を辞めてから40年以上を経ていますが、毎年毎年、年賀状には娘のことが書かれていました。

「頑張っていますか?」「まだ仙台ですか?」・・・本当に大切に思ってくれていたのが感じられるのでした。

明日にでも先生との思い出をしたためて、お悔やみの手紙を奥様にお送りしたいと思っています。

コロナなどの状況が許されるなら・・・迷惑にならないなら・・・仏前で手を合わせたいのですが。

人生で一番、人となりを信頼し、医学知識も最高の先生だと思っています。合掌。

もう一人、妻の主治医でそれほどの先生がいますが、今日は渡辺先生を一番にさせてください。

 

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